湯島天神(東京都文京区)[湯島天満宮]

この記事は「東京でぜひ行きたい!おすすめの神社6+2」からの単体切抜き記事です。

 

梅薫うめかお蟇股かえるまたの宝庫】湯島天神
読み方:ゆしま-てんじん
正式名:湯島天満宮[ゆしま-てんまんぐう]
鎮座地:東京都文京区湯島3-30-1
最寄り駅:千代田線・湯島駅(西口)
旧社格:府社
祭 神:天之手力雄命あまのたぢからおのみこと菅原道真すがわらのみちざね
御朱印:あり
絵 馬:あり

<由 緒>
 雄略天皇二年(458)、勅命によって天之手力雄命を祀り創建。(社伝)
 道眞については、正平十年(1355)里人が勧請かんじょうしたとの伝承があるほか、文明年間(1469-87)に太田道灌が道眞を夢に観たことで合祀し、文明十年(1478)に社殿を再建したという説(『神社辞典』)、太田道灌が夢に道眞を観たのは文明十年で、小祠しょうしであった当社を再建したという説(『江戸東京はやり信仰事典』)もある。
 家康は朱印地(領有を認める土地)を寄贈したほか、五代将軍綱吉は火災で焼失した当社の再建のため五百両を寄進。
 表参道の青銅鳥居は寛文七年(1667)建立で、東京都の文化財指定。
 現社殿は平成七年(1995)の造営。(老朽化による立て替え)

 


天神と天満宮の違い
 御霊ごりょう(怨霊)としてまつられた菅原道眞公は後に「天神さま」とも呼ばれました。
 有名な逸話ですが、道眞さんが無実の罪で九州の太宰府だざいふ左遷させんされて亡くなられると、道眞さんを追いやった貴族の館に雷が落ちて全焼したりして関係者がバタバタ死にました。
 この現象と結びつく形で「瞋恚しんにほのお天に満ちたり」云々という託宣があって(『天満宮託宣記』)、そこから「天満天神てんまてんじん」という神号を与えて祀ったとされます。ちまたではもっとストレイトに「火雷天神」とも呼ばれたそうです。(「瞋恚」は仏教語で「怒り」)
 しかし仲の良い人や一般人からすれば大臣にまで上り詰めた秀才、詩歌に優れた方(五歳で和歌を詠んだ)という評価でしたから、仰々しい呼び方をせず「天神さま」と親しみを込めて呼び、詩歌の技術向上や冤罪の救済などを願う信仰が生れていったようです。
 元々「天神」には別の意味があって、特定の氏族の祖先神のことを指しました。例えば物部氏や大伴氏、中臣氏は天神の子孫といった具合です。そしてまさに道眞さんの母方は大伴氏でした。なので、道眞公を「天神」と呼んだのは、自分も子孫(同族)ですよ祟らないでくださいという暗黙の主張も籠められているのかも知れません。
 「宮」は一部の特別な神社に使われましたが、意味は「神社」とほぼ同じです。「宮」の一字に「神さまを祀る場所」といった意味があり、また「じんじゃ」よりも「みや(ぐう)」の方が字数が少ないので簡略的な意図もあります。八幡神社より八幡宮の方が呼びやすく表記も少ないといった具合です。「神宮」という場合はまた別の意味になります。

 

二十六夜待ちと奇縁氷人石
 ここの境内地は高台であったため「二十六夜待ち」で賑わったという。
 二十六夜待ちとは、正月二十六日と七月二十六日の夜に月を拝む信仰で、月光に阿弥陀・観音・勢至の三尊を観想すると幸福になると言われた。
 旧暦九月十三日の「十三夜」よりも宗教色が強く、上弦の月(逆さまの三日月)なのがポイントですね。いろんなお月見があったんですね。「十五夜」(旧暦八月十五日)は大陸から伝来した風習だそうですが、「十三夜」は日本独自の文化。お祭りも旧暦九月(新暦の十月頃)が多いですよね。
 旧暦の八月は「二百十日」や「二百二十日」といって台風と関連した厄日があるように、日本の風土に適しにくい面があって、それで一月遅れの「十三夜」が盛り上がったのかも。
 また面白いのが嘉永三年(1850)に建てられ文京区の文化財となっている「奇縁氷人石」。これは迷子石とも言われ、尋ね人があればこの石へ貼紙をして情報交換をしたという。
 駅前掲示板の元祖みたいなものであり、それだけお祭りとかの雑沓が凄まじかったことを物語ります。


学問の神さまとして合格祈願信仰が凄まじい天満宮ですが、お祭りの時には全く関係なさそうな人たちで参拝の行列が出来てました。奥の拝殿内には神前結婚式を挙行されてる方々も見えます。

 

豊富な蟇股(かえるまた)
 蟇股とは、二本の水平材の間にあって上の梁を支える建築部材のことで、正面を向いたカエルのように見えることから「蟇股」の名前があります。古い時代のものほどシンプルで、徐々に本来の用途よりも見栄えを重視した複雑なデザインになっていき、龍がそのまま彫られたり祭神に関するものが彫られたりしました。

湯島天満宮宝物殿の蟇股
Aは梅を愛された道眞公にちなんで「梅」の紋
Bは日本神話から「因幡の白兎」
Cは左の人物が弓矢を、右の人物が釣り竿をもっているので同じく日本神話の「海幸山幸うみさちやまさち」と思います。

 


拝殿左と右

拝殿正面(三間中央)の蟇股。上が「牛」で、下が「梅とウグイス」
 牛は、道眞公の遺骸を牛車で運んでいる時に牛が動かなくなったのでそこへ埋葬したという伝承にちなみます。その場所が太宰府天満宮です。なので、天満宮の参道には伏せた牛の像がよく見られます。

授与所の蟇股(上階はすべて鳥類モチーフ)


応龍

 


 


麒麟

 

 


撫で牛

 


手水舎の木鼻

最寄り駅:千代田線・湯島駅(5番出口)