高尾山の八大龍王(高尾山薬王院有喜寺)

アクセス:東京都八王子市高尾町
最寄り駅:京王高尾線「高尾山口」駅~ケーブルカー)
宗派:真言宗智山派
本尊:飯綱大権現(本地:毘盧遮那如來、垂迹:不動明王)
開山本尊:薬師如来(秘仏)

【縁起】
 天平十六年(744)、聖武天皇の勅願により行基が薬師如来を奉安し東国鎮護の祈祷寺として開山。
 永和年間(1375―1379)、京都醍醐山より入山した俊源[syun-gen]が飯綱大権現[iduna-daigongen]を祀って修験道[syugendou]の根本道場として中興。(『高尾山縁起』)
 現在は新義真言宗智山派に所属し(大本山)、高尾山薬王院有喜寺と称する寺である。
 この山は霊山で、天狗[tengu]が棲むと言われる。(参考:境内案内板)


天狗像

本堂(木鼻・蟇股)

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<補足>
 開山本尊の薬師如来は秘仏とされる。
 俊源は空海がこの地で彫った不動明王像に雨乞の秘法を行う過程で飯綱大権現(天狗)を感得した。
 この飯綱大権現は毘盧遮那[birusyana]如來(本地)と不動明王(垂迹)一体の化身であり、不動・歓喜天・迦楼羅天[karura-ten]・荼枳尼天[dakini-ten]・宇賀神弁天[ugajin-benten]の五相を有する(これらを祀ってると思しき堂宇も境内にある)。この本尊は秘仏らしく、開帳用の像が安置されているという。
 祈雨の霊験が著しい。これは俊源の入山とも関係するが、付近に蛇瀧と呼ばれる水行を行う瀧がある。(公式サイトでは「青龍大権現」とある)
 江戸期には度々出開帳[de-gaichou]が行われ、信者組織である講も各地に結成された。
 春秋の大祭のほか、三月に行われる火渡り祭が有名。
 元は真言宗醍醐派(修験道系)であったが、明治以降智山派(新義真言宗系)に改宗。
(参考:新倉善之編『江戸東京はやり信仰事典』)


飛飯綱
飯綱権現は白い狐に乗った姿で現される。(荼枳尼系の稲荷と習合)

 

高尾山の八大龍王
「密教修験道においては、天地の中に活動する生命の根元の「いぶき」を龍神と讃え日々我々に生命の活力を与えて下さるものです。」とある。(境内案内板)
 抽象的な表現だが、修験道がどういった宗教で、何を目的とした活動をしているかといった観点から見ると、理解しやすいかも知れない。
 修験道は端的に言えば山岳信仰の宗教である。山岳信仰自体は仏教が伝来する以前からあったとされるが、「修験道」としての特徴はその名の通り、山中の修行によって験を修める道[dou]である。もう少し具体的に言うと、霊山と称される山に籠もったり山中を歩き回ったりして、根元の理と一体化することによって、神通力や呪術を獲得するもので、教学的には役行者[enno-gyoujya]を開祖としつつ、台密や東密の影響が大きい(神道、道教、陰陽道の思想や儀礼も含まれる)が、理念上の依経[ekyou]として『法爾常恒[houni-jyoukou]の経』というのがある。これは自然界の風、音、光といったモノに言語を超越せし普遍的な真理を観る(それらを経典代わりとする)もので、これを踏まえると何となくのイメージが掴めるのではなかろうか。(参考:宮家準『修験道小事典』)

 一般的に八龍王と言えば、『法華経』開顕の会座[eza]に連なった8者を指すのだが、ここでは龍神の解釈を示してそこに含まれるものとして捉えられている。
 この浄水で硬貨・紙幣を洗い清め、資本金として持ち帰るとのこと。(浄財を入れる御守袋はお札授与所にある)

 

飯綱権現堂
 権現堂の本殿は享保十四年(1729)、拝殿・弊殿は宝暦三年(1753)に再建。
 文化二年(1805)の修理の際に本殿と弊殿を連結させ権現造りになった。
 東京都の有形文化財に指定。(境内案内板)


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