小網神社(日本橋小網町)

社寺建築[細部意匠]

小網神社 こあみ

鎮座番地:中央区日本橋小網町16-23
(最寄り駅:都営浅草・日比谷線/人形町駅(A2・A6))
主祭神倉稲魂ウガノミタマ神、市杵島比賣イチキシマヒメ神(弁財天)、福禄寿 (この他にも祀られて居るらしいが不詳)

今日ご紹介する小網神社も、先日紹介した馬橋稲荷神社と同じく、稲荷系の神社なのにで有名な神社です。

<略縁起1(リーフレット)>

創建年不詳。文正元年(1466)、網師の翁が海上で網に掛かった稲穂をもって当社を訪れ、「この稲穂を供えれば疫病は収まる」といって立ち去った。宮司が言われたとおりにすると、間もなく疫病は終息したという。
慶長年間(1596-1615)には町名を小網町に改称したが、これは社名にちなむ。
M2年(1869)、前年に神仏判然令で廃絶した別当寺・小網院万福寿寺より弁財天を遷座。この弁財天像は舟に乗っているので万福舟乗弁財天とも称す。(以上、主意)

→つまり、この伝承の年次である1466年には既に神社が当地にあったということだけは確実なようだ。面白いのは「稲穂」ではなく、それを捕えた「網」の方が焦点化されていることである。

<その他伝承>
第二次大戦時、御守を受けた兵士が全員帰還したという。

<略縁起2(公式サイト)>

武蔵国豊島郡入江に萬福庵という観音菩薩と弁財天を祀る小庵があった。
文正元年、庵の周辺で悪疫が流行した折、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れた。
滞在から数日経ったある晩、庵の開基である恵心僧都が庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅すると告げる。
夜が明けると網師の翁は消えて居た。庵主は恵心僧都の託宣に従い、翁を小網稲荷大明神と称え、社を創建して祈願した。すると間もなく村の悪疫は鎮まったという。
その後、太田道灌が小網山稲荷院萬福寿寺と名づけた。
明治維新後、小網稲荷神社に改称。
M6年、村社に列す。
S4年、社殿再建。(宮大工・内藤駒三郎と一門)
敗戦後、現社名に改称。
H28年、屋根を銅板に葺き替え。(以上、https://koamijinja.or.jp/history.htmlより主意)

<考察>
 リーフレットの説明とはかなり違っていて、稲穂は特に関係なく、翁が主体で、神社→寺→神社という変遷のあることが判ります。祭神に福禄寿が居るのも納得です。
 宗派は不明ですが、恵心僧都源信は比叡山の横川よかわで修行して良源に師事したとされるので天台宗と関係がありそうだが、伝承内容からすると真言宗も関係ありそうかなと思います。(空海にちなむ伝説として、空海の前に稲を担いだ老人が現れて東寺(教王護国寺)の守護神になることを誓ったという伝承がある)。
 
 神紋は束ねた稲を曲げて円にする稲丸紋。稲荷社の紋としては特に珍しいものではないでしょう。
 
 あと興味深いのは、狐が居なくて狛犬が居ること。しかもよく観ると寺院獅子の特徴がある(後述)。これも通常の稲荷信仰(豊作や商売繁昌)よりも、リーフレットに書いてある如く「厄除け」とか「金運招来」の御神徳が強いことを物語るし、そもそも「海」から稲荷神が来るのは奇妙です。
 極めて立派な龍の彫り物があることからしても、弁財天信仰に力点があったことは間違いないでしょう。蟇股かえるまたや大棟に龍を彫るのは珍しくないですが、虹梁こうりょうにこれほどのものを配置するのは宗教的(信仰的)な意味も籠めていると解すほうが自然でしょう。まただからこそ、強運の御利益を祭神ではなくこの龍のほうへ結びつけて語られるのかと思います。
 そして弁財天と稲荷神は、「宇賀神うがじん」として習合して居ます。宇賀神は記・紀には登場しないカミで人頭蛇身のカミ(しかも老人の頭)と言われます。この宇賀神も明治期に主祭神にすることを禁止されたカミの一柱です。
 従って恐らくは、穀物神系の稲荷ではなく、宇賀神系の稲荷だったと考えられます。

 
(参考:三橋健・白山芳太郎編『日本神さま事典』)

【狛犬】


首に鈴を付けて居ます。これは寺院の獅子像でよく見られる装飾です。
また阿形の個体がほとんど口を開けておらず、ほぼ左右同体です。正面向きで左右同体なのも寺院獅子で多い特徴と言えます。

【木鼻】


拝殿正面:獅子。拝殿左右:貘。
前脚が前後に動きを付けてあるのが躍動感があり良いですね。また優れた彫刻に特有ですが、参拝者など正面(下)に立つ者と視線が合うように顔の向きが計算されて居ます。

【蟇股】


拝殿(昭和四年)
高さがあります。それが唐破風の曲線や奥行きと相俟って社殿を大きく見せています。また奥の板蟇股は正面を向く龍頭になって居ます。社殿だけ見ると、龍神を祀ってるのかと思えるほどに彩られて居ます。

【虹梁】


拝殿(昭和四年)
それぞれ昇り龍・降り龍と言うそうです。単なる装飾ではなくエネルギーの循環まで考慮されて居ると言えます。
外側だけでなく内側も微細に彫り込んであり、顔も視線が合うように設計されている。部材らしさはまるでなく丸ごと龍になっていますが、波をうまく使うことで、見えないその先を状景ごと想像させる巧みな表現です。虹梁でここまで彫ってあるものは見たことがないです。
何より昭和の造形でこれほど見事なのも稀ではないでしょうか。境内がやや狭隘で角度的に見にくいのですが、一見の価値ありです。

社殿は中央区有形文化財指定。

御朱印:あり
オリジナル朱印帳:あり
絵馬:龍ほか数種
駐車場:なし