三輪明神広島分祠(広島市西区)

参拝の記録・記憶

三輪明神広島分祠 [みわ-みょうじん-ひろしま-ぶんし]

祭神の大物主大神は、出雲大社の祭神・大國主神(大己貴神おおあなむちのかみ)の幸魂・奇魂です。

【御祭神】(おまつりされてる神さま)

主祭神:大物主大神おおものぬしのおおかみ
配祀神:火迦具土大神、天照大神、豊受大神、大山祇大神、少彦名大神、事代主大神
末 社:龍神社、天神社、胡子社

【御神徳】(ごりやく)

産業開発、治病、方除け、厄除け、縁結び、交通安全
(これらは神社公式の説明に依ります)

【由緒】

奈良の大神おおみわ神社(大和国一ノ宮)より御霊を分祀。(創建年については記載が無く不明。鳥居は昭和四十八年奉納)。

<龍神社について>


 鳥居の正面右手の方、ちょうど神域の境の辺りに、末社の祠が並んでいます。
 左が天神社、真ん中が胡子えびす社、右が龍神社です。
 龍神社の祭神は「巳の神・山の神」とだけあって、具体的には不詳ですが、恐らくこの地の産土うぶすな(神社ができる前に居たカミさま)と思われます。
 なので、こちらも忘れずにお参りなさることをおすすめします。
 車で来られた方は恐らくこの祠の前を通ることになります。(参拝をしない場合も横切る時には一礼しましょう)

また教祖殿に祀られて居るらしい「大物主大神の第一の眷属国光くにみつ龍王」というのも初めて聞くもので、調べてみましたが詳細不明です。(参考:境内案内板)

<奥宮について>


 境内の奥へ行くと、奥宮があります。
 ここの奥宮は「祖霊社」だそうです。
 リーフレットによれば「祖霊を祀る」としか書かれてないですが、境内案内板には「救神崇祖のみ教えにより幽冥事をしろしめす幽冥の大神をお祀りしております」とある。
 この「幽冥の大神」が具体的にどのような祭神かは分からない。(伊弉冉尊ならわざわざ名を伏せたりはしないだろうし。記紀には出ないカミであろうか)

 彼岸会とか先祖供養はこちらで行われると言うので信徒の先祖霊も祀られてるのかも知れません(参道の掲示板に『般若心経』の現代語訳があったのはちょっと仰け反った。苦笑)。
 意外な気もしますが、三輪明神は教派神道なので一般的な神社神道とはやや趣を異にします。
 我々の霊を祀ること自体は、戦没者を祀った招魂社(護国神社)の例もありますので特に珍しいというわけでもないです。

 

<成田山新勝寺の御守!?>


 社務所の窓口の台(左端の方)に成田山の厄除け御守がありました。思わず二度見しました。
 もともと三輪流神道は伊勢信仰と真言密教の要素をもつのですが(両部神道から派生)、末社の祠の一番端っこにはなんと弘法大師等を祀る「大師堂」がありました。
 だから成田山(真言宗)の御守があるし、天照大神等の伊勢の神が配祀されてるんでしょうね。本家の大神神社よりも習合の度合いを色濃く残して居ます。

<かわいいうさぎ像>


 国津神系の神社は狛犬が居ないことが多いですね。
 宮中では天皇の御帳台の傍に獅子・狛犬が置かれ、それがやがて社殿の前や参道の入口に守護獣として置かれるようになったとされますが、神域の守護という点を鑑みれば、やはり国津神や産土うぶすなに対する「怖れ」もあったのではないかと思います。
 昔は狛犬が好きでしたが、そういったことにまで思いを馳せると、かわいいうさぎだけが居る神社の風景に、何とも云えない哀切を感じてやみません。
 なお、大神神社とうさぎの由来は、古来より「卯」の日に重要な神事が行われてきたことにちなみます。何故「卯」の日だったかというと、大物主大神の三輪山祭祀に絡む逸話がすべて「卯」の日だったからです。崇神天皇の御代の三つの出来事がいづれも「卯」の日だったことから奇縁を感じて、祭礼も「卯」の日に合せて執行されるようになったと言われます。

<電車・徒歩によるアクセス(行き方)>

広島駅からJR山陽線・岩国方面「西広島」下車。広電宮島線・宮島口方面に乗り換え「古江」下車。(スイカ使えます)

 

鎮座地:広島市西区古江上1-376-15
(最寄り駅:広電宮島線/古江駅[徒歩20分])
駐車場:あり
御朱印:あり

 

古江駅周辺の食事処(そば屋)
たまたま見つけたので帰りに寄ってみました。

 

幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)とは
 神霊のうち幸福・珍奇なる作用をもたらすもの。
 神霊には荒・和の両面があって、そのうちの和の面(和魂にぎみたま)に含まれる代表的な作用
 『日本書紀』(巻第一 神代上 第八段一書第六)の次の逸話が有名。
 ――大己貴神が少彦名命すくなひこなのみことと国造りを進めていくなかで少彦名命を喪ってしまう。その後は独りであちこち廻って出雲に着いた。海辺に立った大己貴神は「強暴なものたちを服従させてこの荒れ果てた国をよく平定できたものだ」と言う。すると光物が海上に現れて「それは吾が居たからだ。吾が居なければできなかったことだ」と告げる。大己貴神は光物に何者か問う。光物は「汝の幸魂・奇魂である」と答える。そこで大己貴神は、自分自身に幸福や珍奇をもたらす力もあったから国を平定できたのだと覚る。そうして日本やまと三諸山みもろやま(奈良の三輪山)にその神霊を祭った――。(参考『神道大辭典』『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』)
 この逸話は武力やだまし討ちで従わぬモノを殺していく神と違って、交渉術や呪術・神秘も駆使しながら国をまとめたことを物語っている。