京都 本法寺(日蓮宗本山)のご紹介

参拝の記録・記憶

【所在地・アクセス・拝観時間・宗派】

所在地:京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617

<アクセス>
京都市営バス「堀川寺ノ内」停留所~数分
(京都駅方面からは9系統。降車して後方の横断歩道を渡り、左手・道沿いに進む)
地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅~十数分
駐車場:あり

拝観時間:10時~16時
拝観料(庭園・宝物館):一千円(中高生600円)。境内は自由。
*基本予約なしで拝観可能です。

宗派:日蓮宗(本山)
山号:叡昌山(鎌倉妙本寺の檀越狩野叡昌の娘が本法寺建立に経済支援を行ったことに由来)[1]
開基:日親(にっしん, 1407-1488)

【略縁起】

応永三十四年(1427)日親(21)京都で布教活動を始める。
永享八年(1436)に綾小路東洞院[ayanokouji-higashi-no-touin]に築かれた弘通所を端緒とする。
(永享九年に中山門流を破門されてから上洛したとの説もある)[2]
永享十二年(1440)幕府を諫暁[kangyou]したことで破却される。
康正年間(1455ー1457)四条高倉で再建。
寛正元年(1460)再び破却され、三条万里小路[sanjyou-madenokouji]に移転。
天文五年(1536)、延暦寺による洛中法華宗二十一本山焼き討ち(天文法難)で堺(大坂)へ退避を余儀なくされる。その後、一条戻橋付近で再興。
天正十五年(1587)都市整備に伴い現在地へ移転。本阿弥光悦(1558-1637)らの外護を受けて堂塔伽藍を整備。(本阿彌家の菩提寺となる)
天明八年(1788)大火により堂宇の大半を焼失。

弘通所[gutuusyo]
説法が行われた伝道の最前線。

一条戻橋[ichijyou-modoribashi]
 渡辺綱[Watanabe-no-Tuna]が鬼の腕を斬り落した所として著名。陰陽師が占いをした場所とも、安倍晴明が式神を隠した場所とも言われ、付近には晴明神社がある。入洛した日親は当初この曰く付きの橋の辺りで辻説法をしていたと伝わる。
 京都駅方面から本法寺方面に向うバスに乗ると、途中で通過する。

 現在の堂宇がいつ頃再建されたものかは記載が無く不明だが、火災を免れた経蔵・宝蔵と、本堂、開山堂、多宝塔、仁王門、庫裡、書院等が京都府の有形文化財指定を受けている。

<見所>

長谷川等伯(1539-1610)[Hasegawa-Touhaku]『佛涅槃圖』[butsu-nehandu](国指定重要文化財)

(本法寺春期特別寺宝展チラシより)
 等伯晩年(1599年)の作品で縦約8メートル、横約5.2メートルの大きさ。釈迦の涅槃図は宗派を問わず作られたので現存する作品も多いそうだが、この規模のものはかなり稀らしく、東福寺(明兆筆)、大徳寺(狩野直信筆)と伴に三大涅槃図と称された。[3]
 毎年3月14日~4月15日の一ヶ月間真筆が公開される。(通常はレプリカを展示。両方観たことありますが、真筆は迫力が違います)
春期特別展の展示物・金額・時間帯等は本法寺の公式サイトでご確認ください)

本阿弥光悦[Hon-a-mi-Kouetsu]作庭と伝わる「巴の庭」[tomoe-no-niwa]は国指定名勝。
室町期の書院風枯山水の趣を有する。

狩野山楽[Kanou-Sanraku]『唐獅子図屏風』[karajishidu-byoubu](京都市指定文化財)常設展示ではない
山楽は狩野永徳の弟子。四曲一双の屏風で十六世紀の作品。

長谷川等伯『波龍図屏風』(1592)常設展示ではない

その他

御朱印(御首題)あり
(去年訪れた時は限定の「切り絵御朱印」という洒落たのもありました)
寺宝の絵はがきあり

 近隣に妙顕寺(大本山)、妙覚寺(本山)、妙蓮寺(本門法華宗大本山)、本隆寺(法華宗真門流総本山)など日蓮系の本山クラスの寺が結構あります。
(妙顕寺の庭園、妙覚寺の本堂・庭園、妙蓮寺の宝物庫は事前予約が必須)

 

【参考文献/註】
本法寺発行リーフレット(2023年入手)
本法寺春期特別寺宝展チラシ(平成28年)
京都十六本山マップ
[1]寺尾英智・北村行遠編『日本の名僧14 反骨の導師日親・日奥』(吉川弘文館/2004)40頁
[2]同上、39頁
[3]東京国立博物館編『大日蓮展図録』p.244