草津龍宮神社(広島市西区)【広島県の龍神祭祀社】

神社


社頭を流れる御幸川

【鎮座座標】
広島市西区草津東1-15-7
(最寄り駅:広電宮島線「草津」駅)
【祭神】
みはしらの少童わたつみのみことうわ津少童命、中津少童命、底津少童命)
筒男つつのお命(表筒男命、中筒男命、底筒男命)


狛犬:明治37年

<由緒A>(『廣島縣神社誌』)
正応年間(1288-93)、不漁対策として漁師らが小祠を建立し、福岡の志賀海しかのうみ神社から勧請。
海浜埋め立てにより社地を遷し、
明治初年、現在地に遷座。
昭和17年、水害で本殿流出するも海辺に還りつく。
昭和18年、再建。

雨上がり等の日に朧気に龍体が見えることがある。(敗戦後に減少)
社殿右の手水鉢は龍眼という

例祭:旧暦九月十二日
春祭り:旧暦三月十二日。船上で祭礼を行う特殊神事がある。
草津八幡宮の境外社

<由緒B>(境内案内板)
「草津まちづくりのかい」が設置した案内板では
祭神を綿津見三神、三筒男命
例祭を旧暦二月十二日
勧請年を正応元年(1288)としている。
また異説として寛文元年(1662)以後、草津村内に設けられた浜田藩の船屋敷の鎮守として祀った住吉社を前身とする説を記載。
その後海浜の埋め立てが進んだため明治四年(1871)に現在地へ遷座し、大門下東にあった住吉社を合祀したという。この典拠は「老繰言」としている。

 

 

志賀海神社は綿津見三神を祀る名神大社、旧官幣小社。神功皇后の伝承関連地である志賀島に鎮座。
しかし志賀海神社のサイトでは神紋が右三つ巴になっている。類推するに、公家の分家が本家の家紋を若干改変して使う例が知られるので、同じ巴紋でも回転方向を変えた可能性が考えられる。
蟇股の意匠は龍が持つ如意宝珠。