人柱伝説の研究②「第一章:先行研究、分類例、概要」

 前回の「序章」では、民俗学の研究における問題について確認し、筆者の立場を表明した。その補足として、民俗学者は「伝説の研究」をどのように捉えているかを簡単に確認しておく。
 それは伝説の研究を通じて、「信仰の世界を見出すこと」だと述べられる[1]。これは伝説というものを根底で支えるのが「信仰」だという認識に基づいている。つまり、各地に類似の伝説が存在するのは、その伝説の信仰者(乃至は集団)が、「布教」したからだと言うわけである。
 兎に角、研究を通し何故伝説が語られ、何故信じられているのかを解明せよと主張されるわけであるが、このような前提は、「伝説」と称されるものが須くフィクションであるという立場のもと研究することをも意味している。
 しかるに、筆者はそのような立場にはない。ここで言われていることは、研究者として客観的な立場から研究対象たる「伝説」を見るというようなことではないだろう。
 筆者が思うに、信仰が支えるということに対し、「何故」は愚問であろう。信仰する者にとっては「真実」なのである。その思考についても自明だろう。「経験」をベースに「解釈」するのである。
 つまり裏を返せば、民俗学者がやろうとしているのは「伝説」そのものの研究ではなく、「心理」の研究と言うべきものであろう。それこそが本来の民俗学なのかも知れないが、この点に於いてもやはり筆者の研究は民俗学的研究とは一線を画していると言える(殊更にそれを拒絶したいわけではなく、主目的ではないという意味である)。だが同時にこうも思う。個人の経験と解釈を、「民族の心理」だと説明していくのは相当慎重でなければならないのではないか。ここに柳田民俗学の抱える問題があるのではないか。
 柳田國男は「伝説」を宗教的に(民間信仰として)捉え、「歴史」と区別する。「類似の伝説」が存在するものは史実ではないとして、研究者はこの立場に立てとも主張する[2]。だが我々は、権力者(権威をもつ学者組織を含む)が定めた「歴史」を検証し、修正する。この一連の過程は、「伝説」の成立と合理化の過程と同じであろう。何故ならその史料が本物か否かを判定しているのは個人の経験と解釈だからである。教育により流布された歴史と、信仰により伝播された伝説の違いも、柳田が言うように明白なものなのか筆者には疑問である。むしろその違いは日本史と地方史(郷土史)のようなもので、単にそれを知る者(信者)の数の差異なだけではあるまいか。こう考えれば、「類似の伝説」の存在は逆に「歴史」により近い伝承なのだと言える。
 柳田が殊更「伝説」を「心理」で捉えるのは、歴史学との違いを強く意識するが故であろうと推察するが、そうするとどうしても筆者にはその学問の壁が研究の障壁としか思えなくなるのである。(柳田はこうした研究者の立場の曖昧さとか対象範囲の根拠なき拡大を問題視している)[3]

一、<先行研究>

Ⅰ:人柱伝説に関する先行研究

 論文をあまねく拾える環境にないので(*後日まとめて確認したい)、市販の書籍のうち現時点で手元にあるものからになるが、いくつか挙げてみる。
 一応主要な論考として提示されている、小松和彦編『怪異の民俗学7 異人・生贄』に所収のものは一通り目を通した。その多くは生贄や人身御供をテーマとしたものであり、また人柱を扱ったものも論点が筆者と異なっている(筆者が第一段階でやりたいのは「分類と再定義」であり、それを分析する前から生贄、人身御供、人柱がどう位置づけられるのかも鵜呑みにはしない)。
 同書から二,三の例を示すと、例えば柳田國男の論法は、まづ「美女を水の神の牲とした話」を語り歩いた者が居たという前提から出発する。そのため各地の伝説に共通した型式が見られるという。次にそれは説話にも見られると言い、説話で使われるキーワードと同じようなキーワードが出て来るのは、すべてその説話の影響下にあるという。説話作者が地方の伝説から題材を得たという可能性(ベクトル)はこれを否定する。そして説話の原型は説話よりも成立の古い素朴な伝承にあったとして最初の前提に結論する。ただ博覧強記で畳みかける前に「今ある人柱の物語の何れの部分までが、他所から雇い入れてもてはやしたものであり、どれだけが土地で供給した種であったかは、尚面倒な比較を重ねた上でないと、推断し得ない(後略)」[4]と楔を打ってもいる。
 ここで筆者が注目したいのは、柳田が人柱を「美女を水の神の牲と(する)」行為と認識して居たことである。しかしこれを人柱の定義と言うにはいささか無理がある。このような要素は伝説全体のごく一部だからである。ところが柳田はそれをキーワードへ置き換えることでこの問題を巧みに回避している。(属性→名称)

 宮田登の論考『献身のフォルク』は初学の筆者にとって大変勉強になるものであった。宮田は「自己犠牲」を「供犠」という学術用語で包括する。供犠には人身供犠と動物供犠があるとし、その目的を「神人共食」にあるとする。
 我身を動物や鬼神への供物とする概念は前生譚という形で仏教にも見られるものである。一対一であるから共食こそ無いものの、自己犠牲は仏身(や覚り)を手に入れる手段である。それは凡夫としての死と、聖人としての再生(転生)の隠喩でもある。
 しかし「神人共食」は「食う」側が一体化する意味合いが強い。この食われる対象の解釈については諸説あるようである。(筆者が思うに「人」であることを隠蔽するレトリックではないかと思う。代表的なのが人魚伝説)
 供犠に続けて「人身御供」へと話が及ぶ。両者(供犠と御供)の違いはあまり明確に示されない。ただ例話として前者では動物を殺す神事が紹介され、後者では『今昔』の生贄譚や八岐大蛇神話などが提示される。その上で「(女の生贄は)齋女・巫女の神への奉仕を意味するのだという考え方は、現在の学会の通説」だと述べる[5]。つまり供犠が血液や生首に象徴されるように、対象の死が絶対的であるのに対し、御供が象徴している「女性」は飽くまで奉仕者だという論理である(ここには「柳田民俗学」を背負う宮田の慎重な筆遣いを観じる)。そしてこの主張が特に人柱伝説へ適用されるのだという。宮田は人柱を「神に対する供犠」と断定し[6]、人身御供に包含されるものだと位置づけているほか、「埋められた人間の霊魂で、工事が強固になるという呪術」[7]という認識も示している(「呪術」という語はメカニズムの説明を回避したように感じるが、後でしっかり考察されている)。
 しかしこれには疑問の余地がある。何故なら人柱伝説の大半に「神」は登場しないからである。仮に、そこに何らかの「神」が想定されているのだとしても、カミ殺しをすることもなく一回限りの「供犠」で終焉し、その一回でもって永劫に安泰だと語るだけで、以後「神」が消失あるいは変節したかのように宗教的信仰的にまったく省みないのは不可解である。また対象者の霊魂がその場に留まらない伝説も少なくない。
 宮田は柳田の説に沿いながら人柱伝説を提示し考察を進めていくのだが、その伝説もよく知られた「有名な説話」ばかりである。「説話」には大概ネタ(原型)があり、筆者には文学畑のテーマではないかと思うところであるが、宮田が言う伝説の類型とはそれらを基軸としたものなのである。説話化された伝承は、むしろ伝説全般からすると特異なものである(それは文学的な装いをもつからであろう)。これについては柳田國男の影響も大きい。後で詳しく述べるが、柳田は信仰が伝説を支え、かつまたその変遷を左右するとも述べている。だが果して、信仰と説話伝承との関係を正しく捉えた表現と言えるだろうか。そこには微妙にして決定的な齟齬がありはしないだろうか。すなわち、信仰とは当人にとってそれほど客観視可能なものなのかという疑問である。
 「有名な説話」に話を戻すが、成立年代がはっきりしていて複雑な話が、伝承の過程で簡略化され地元化しただけではないかといった反論もあるだろう。しかしそれは伝説だけが残る場合には言えても、神社や供養塔などを伴う伝説には当て嵌まらない。宗教がある程度統制管理されていた時代において、為政者や共同体が「伝説」だけを根拠に対象者だけを祀る慰霊施設を建てるとは考えにくいだろう。
 そのほかには「築城の人柱」に関する議論なども紹介されている。特に興味深いのは南方熊楠が姫路城のオサカベ姫という妖女に言及し、人柱の霊だと述べている部分で、「天守櫓の上層」に出るというのが面白い。同じ「人柱」という行為でありながら、柳田國男の主張する水神祭祀と結びつきようがないわけだが(柳田は築城の伝説についてはついに触れなかったらしい)、これらの諸説諸議論を概観した上で宮田は、「新築儀礼」と「祓淨」とで人柱の説明を試みる。
 前者は対象の守護神化に該当し、後者は災難の消去に着目したものである。つまり人柱は①「水神への供犠」、②「対象者の強制神格化」、③「儺負いによる祓え」の三つの観点があることがわかる。ただし宮田は②にも「生贄」や「供犠」という言葉を使っていて、その相手は「神」を想定しているらしく、儀礼と伝説が結びついたという理解である。

 赤坂憲雄は伝承の形式に注目し、その機能を記憶(原初のできごと)の反復再生にあると見なす(この反復再生が儀礼になったとする)。しかるに、その「原初のできごと」を「供犠」であるとする。いささか抽象的であるが、人身御供も人柱も「供犠」であると断じている[8]。注目したいのは、供犠の目的を秩序の回復にあるとする点であろう。そこから第三項排除論とかいうものへも展開していく(説明がなく委細不明だが社会哲学者辺りが扱うテーマの一つらしい)。
 宮田が示した観点のうち②を含みつつ③に重点を置いた論ということもできる。ただ儀礼化しながら、その儀礼の本質は現実の隠蔽・否認であるとも述べている[9]。この辺りは物語論とも絡んできそうだが、いかんせん筆者には難しすぎていまいち要領を得ないというのが正直なところである。それと<後註>の文章もそれまでの論調から一転して結局はすべてを虚構と見なすかのような物言いで、何だか狐に摘ままれた感もなくはない。

 本書以外では、ざっと検索した限りではあるが、中尾竜夫、田中清、金子哲、柴田一、原田信之、久志本鉄也らの論考があるようである。(*現状未確認)

Ⅱa:伝説分類の先行研究

 全般的な「伝説」の分類については概ね高木敏雄の「主題・主体分類」と、柳田國男の「遺物・地処分類」に二分される。
 前者は「説明伝説」とか「水界神話的伝説」など主題で大きく分けてから、その下位に「陥没伝説」や「河童伝説」など、語りの主体別に項目を立てる体系的な分類で、語りの構造も意識した分類である。
 一方後者は「岩石」や「坂峠」など伝承遺物や伝承地処で振り分けるデータベイス的な分類である。
 これら二種類の分類法はそれぞれに長所と短所がある。例えば前者は結末によって主題が変化する場合も同列で良いのかとか、複数の特性をもつものが一つの特性しか考慮されずに分類されているなどであり、後者は単なる「物の説明」になってしまい、あらゆる伝説が物から作られた(最初に物ありき)という虚構説に陥る。
 このような分類に言及するのは専ら研究者であり、一般向けには「地域の伝説」として地区ごとに羅列するのが主流である。『日本神話・伝説総覧』の「英雄」「聖者」「異界」「由来」のような最低限の大雑把な枠組みもある。
 ほかに注意すべき点として、この手の研究は文献上の最も古い事例や最も有名な事例を基準にしがちであるが、それらは往々にして「神話化」や「説話化」が為された状態である点に留意したい。すなわち、本来的に有する意味が一般的な伝説とは異なるということである。伝説が「事象」を伝えようとするのに対し、神話や説話は一種の暗喩(技巧化された物語)である。それらが伝えようとするのは「関係性」や「価値観」である。

Ⅱb:人柱伝説の分類例

 「人柱伝説」の分類については、高木敏雄が独立した項目として設定している。更に「主題」、「選定法」、「付加要素」によって型式を仕分けている[10]
 藤澤衛彦は「犠牲伝説」の項を立てて「人柱・身代・人身御供・贄供・人身生埋・[嫁殺し田]・犠牲」を並列的に含めたが、一方で「海洋説話」というくくりでは「海の人身御供伝説」を含めるなどしており[11]、形質的な特徴や体系という点で難がある。(特徴とは、一般的には他とかぶらない独自の要素をいう)。
 赤坂憲雄は「たぶん「建築供犠」に分類できる」としている[12]。これは伝説の分類云々ではなく、人柱という行為を供犠に位置づけるという意味である。
 本研究ではまず高木の分類を足がかりとしたい。(宮田登がまとめた三つの観点は「人柱伝説」が他の伝説種とどういう位置づけになるかといった上位の分類で参考とする)

【高木敏雄の人柱伝説分類例】

主題の例
A「人身供犠」
B「人身生埋マジック」

選定法の例
「袴籤モーチーフ」:袴の籤によって人選を決した場合。
「通掛モーチーフ」:通り掛かった最初の者を人柱に立てる場合。

付加要素の例
「咒」:異常な現象の発生。

分類タグ例
①鶴市神社「人身供犠傳説/袴籤モーチーフ」
(原因:堰/決壊。 形式:捧げる(水神)→立てる。 対象者:湯屋弾正(地頭)→弾正の家臣の娘と子。 意志:くじ→志願。)
②源助柱「人身生埋マジック/袴籤モーチーフ」
(原因:橋/架橋。 形式:立てる。 対象者:源助。 意志:不明。)
③阪田ヶ池片端梅「人身生埋マジツク/咒」
(原因:堤決壊。 形式:生埋め。 対象者:見慣れぬ婦人と女児。 意志:志願。)
④備前道丁「人身生埋マジック」
(原因:堤/防護。 形式:埋める。 対象者:家老→六部 意志:志願。)
⑤一言の宮「人身生埋マジック/通掛モーチーフ」
(原因:堤/決壊。 形式:立てる→投げ込む。 対象者:子を背負った女。 意志:無理矢理)
*形式及び意志は文献によって差異あり。ここでは高木が報告した内容(高木敏雄『日本傳説集』)で判定した。

 特に注目したいのは「人柱」に二種類の主題を見出している点である。Aは人柱(対象者の命)を「水神に捧げる」ものとして語られるが、Bでは水神が登場しない。しかしながら①と④・⑤は、主題を異にしながら人柱対象者を祀るといった共通点もある。また主題による振り分けは、原因を問わないので、城や峠の人柱にも適用できるのが便利である。

人身御供伝説との関連性
 主題Aの「人身供犠」は、土地の神(多くは水神)に人の命を捧げるという点で「人身御供伝説」的である。しかしその神は伝説の主体ではなく、一般的な人身御供伝説と違って退治されたりもしない。その神を祀る神社などもほとんど語られず、信仰的にも極めて希薄な存在である。代わりに人柱対象者を祀る例がいくらかある。また人身御供は、かつての名残であるかの如く神饌や奉仕者の名称にその痕跡を残しつつ、神事として続行されている例があるが、人柱は断絶し、対象者が祀られた場合であっても人柱的な儀礼が行われることはない。このことも人柱行為の本来的な意味を示唆するものと言える。

二、<概要(既存の定義)>

Ⅲa:「伝説」の概要

 まづ「伝説」というモノについて確認しておくと、次のような説明がある。
 「驚愕すべき事件や変わった事物は民衆にとって異なもの不可解なものであるが、伝説はこれらの事件や事物を土着の論理に基づいて理解可能なものへと変形操作し、記憶するための説話構造をそなえた装置といえる。(中略)伝説は、事件の衝撃を形成の契機とはするが、事件そのものから直接に作られたり、あるいはそれをそのまま反映したものではなく、むしろ不可解なものを可知なものに変形して共同体に取り込み、その秩序を補強するものといえる。」[14]
 この定義は一面ではその通りだが、果してあらゆる「伝説」に適用できる定義なのかという疑問もある。これは恐らく、前半の定義と後半の説明とで、それぞれ念頭に置かれている「伝説」のタイプが異なるからではなかろうか。前半は「事件」「事物」そのものをベースとするとしながら、後半は事件の「衝撃」からとしている。だから前半は「記憶」に結び付き、後半は「秩序」に結語している。前半と後半とでは、「伝説」の作用に微妙な違いを認められる。
 ただ実際にあった出来事(結果)から生成されていくという部分は、従来の偏った伝説観念から、より中立的見地にシフトしたものと評価できる。
 ここで問題となるのは、「人柱伝説」はこの定義に当て嵌まるのかということであろう。そして当て嵌まるのだとすれば、どのような「不可解な事件」がベースとなり、どのような「土着の論理」が採用されたのか考察する必要が出て来る。

Ⅲb:人柱伝説の概要

 次に「人柱」についての説明を見る。
S1「川の堤防や橋や城を作るとき、人を生きながら埋めて犠牲とし、丈夫なものを作ったという伝説的行事およびその伝説。人の霊をもって柱を強化しようとするもので、近いころまでその現実性が広く信じられているが、少なくとも日本では一般的な現実習俗の投影であったとは認めにくい。人柱伝説は全国に広く分布している。(中略)袴の横つぎや着物の肩の横つぎは多くの話に共通している。人柱を立てよとすすめるのが、旅の盲僧や六部や巡礼であるのは、そういう巡遊者たちが自分に関係ある者の話のような形でこの伝説を伝播して歩いたことを推測させるし、また人柱にたつ者は女性の例が多く、しかもその娘が歌をよんだりして登場するばかりでなく、母子ともに神に祀られる例の多いところから、水の神の祭りに関与した巫女が母子神信仰を語り歩いたため、この伝説が全国に広まった(後略)」[15]

S2「①橋・堤防・城などを築くときに、工事の完成を祈り、神々の心を和らげるために、犠牲として人を水底や地中に生き埋めにすること。また、その埋められた人。②ある目的のために犠牲になった人。」[16]

 生贄(人身御供)の範疇で解説するものもある。
S3「生贄:生きた動物を神に供えること。(中略)人身御供の思想は牧畜民のもので、わが国では、神が奉仕する巫女として娘を要求するか、または人が死んで霊となって神と対決するという考え方で、前者は恒例で、後者は非常の場合である。日本武尊の妻の弟橘姫の入水や、人柱伝説は後者に属する。」[17]

 これらの定義の骨子はいづれも祈願と死(犠牲)である。しかしそれだけで果して十分と言えるだろうか。祈願と犠牲は生贄や人身御供も同様であり人柱を単立の伝説として分類することが能わなくなる。生贄と人身御供がその名称によって意味内容をシンプルかつ的確に体現しているのだとすれば、「人柱」ももっとその文字や音声に留意すべきではなかろうか。
 人柱という語がストレイトに醸しているのは死(犠牲)や生贄や御供ではなく、「柱」ではないか。それは人柱行為の動詞として「立てる」という語が存在することからも指摘できる。つまり過程における死や、生贄的な意図があったとしても、結果の部分は「人の柱化」にほかならない。ここが生贄や人身御供と決定的に違う要素(消失や還元が不可能)であり、特性と呼べるからこそ名称となったのである。
 説明のなかで「柱」に言及しているのはS1である。しかるに「人の霊をもって柱を強化しようとするもの」という説明は実際の人柱行為を考えるとき、多少の違和感を禁じ得ない。もしも霊的システムがこの通りなのだとしたら、わざわざその場で犠牲にしなくとも、何処からか死霊や神霊を勧請すれば済むのではないか。それをやらないということは、その場で処すことに重要な意味があると見るべきである。
 これに関連して注目されるのは、人柱対象者の「霊」を別の場所に祭神として祀ったり、弔ったりする事例が散見される点である。これらは「人の霊をもって柱を強化しようとするもの」ではなかろう。創祀や弔いは人柱という行為の後の話(儀礼)であるし、その意義は対象者の慰霊や鎮魂である。つまり霊的感応のベクトルが完全に変わっている。
 このような事例に対し、「柱を強化」していると果して言えるのか。たしかに工事は完成し、以後問題が永劫的に解消されたと語られることは多い。しかしそれは対象者の霊によって「柱」が瞬間的に強化されたからなのか。
 あるいは彼らが新たな水神や守護神(産土)に成ったと解すべきなのか。しかしそれも奇妙な話である。まづ宗教者でもない者たちがそう簡単にカミを創生できるのかという問題(①)。新たな産土神は誰でも成れるものなのかという問題(②)。そもそもカミを必要とするのであれば、既に全国各地に祭祀されている神徳の評判高らかなカミを勧請するほうが確実なのではないかという問題(③)。
 これらは伝統神道を拒絶する(伝統神道への信仰低下に由来する)新たな宗教儀礼的観念に基づく所作なのであろうか。しかし永続的な宗教施設が建てられその徳を顕彰するといった語りはむしろ少数である。中には呪詛や恨みの発現を示唆する語りすらある。これは単に「改変」された枝葉の部分に過ぎないのだろうか。

 S2とS3は特定の神との対峙が企図されている。つまり問題を発生させているのはその土地の「神」という観立てである。そして人身御供伝説に顕著な「カミ殺し」ではなく、一人ないし二人の生贄でもって解決を図る。しかしほとんどの人柱伝説に「神」は姿を見せない。したがって「生贄」(人柱行為)も神が要求したところのものではない。また土地の権力者が上意下達的に命令したものでもなく、多くは共同体や工事関係者の間での「話し合い」や、特定の人物の「助言」という形で提案されたものである。
 プロセスを一旦置いて、原因と結果だけを見ると、一人を殺害することで問題が解消したのであれば、その原因は対象者にあったと見なすこともできなくはない。例えば、ムラの秩序を乱す者への体罰の中に、生埋め・簀巻き・水漬けといった行為のあったことが確認できる。[18]
 もしそうだとすると、S2の説明ではそれを「神々の心を和らげるため」だと改変し、S3の説明では「神と対決するため」だと改変したことになる。しかし先に述べた様に「人柱伝説」の大半に「神」は登場しない。神について言及されないにもかかわらず、神への対処だと解するのは不可解ではなかろうか。刑罰が必要なほどの悪人であれば、偽装は不要なはずである。

 霊魂という観点では、死者の霊魂が年忌を経て神に成るといった流れをすっ飛ばして一気に産土化する。しかしその新たなカミに継続的な祭祀を行っていくケースは稀である。そもそも別の場所へ祀ったり、地蔵を建てたりすることからすると、対象者の霊魂は必ずしもその場にカミとして留まって威力を発揮し続けているわけでもないようだ。
 このように人柱というのは、いまいち霊的メカニズムがはっきりしない呪法といえる。にもかかわらず、その効果は著しく優れている。
 人柱を実行した後の霊魂の処置がまちまちということは、いったい何を意味するのだろうか。
 ここで人身御供の扱われ方を確認しておくと、御供としてカミとの一体化が図られ、また祭祀者らがその相伴にあずかる。これは御供を媒介とした神と人との交婚であり、豊作を企図したものである。しかしこの儀礼に疑念をもつ者が現れると共同体外部の手を借りて「カミ殺し」が行われ祭神と儀礼の変更が為される。(この辺りは中国の易姓革命をほうふつとさせる)。人身御供伝説には霊魂の観念は登場しない。その理由は、御供が人間として見なされていないか、殺されていないかのどちらかであろう。(人外に変身する例もあるが説話的である)
 こう考えると、人柱伝説の対象者の大半は間違いなく死んでいることが理解される。

 もう一つ大きな問題として、上下の問題がある。霊魂の位置は果して上なのか、下なのか。生埋めはあきらかに「下」に「留める」ものとして観想され、霊魂の固定は祟り神にも通じる。植物が根で栄養分を摂取するのに近い。しかし柱の強化が柱との即時一体化(同化)なのだとしたら、「上」から「封じる・押さえる」ものとなる。下か上かでその役割は真逆となる。効果が実質的に同じなのだとしても、この問題は看過できない。
 ここで思い出せるのが、アメノウズメの「をどり(踏みつけ)」が大地に籠もる魂を呼び醒まし、同時に悪い魂を抑えつけたと解す折口信夫の指摘である[19]。折口はこれを「鎭魂の行事」と述べているが、これはそのまま要石へ転用でき、更には人柱へも転用が可能なのではないか。

 咒的メカニズムについての説明が無く、人柱の実行により問題が解消されたのだとすれば、その問題に人柱対象者が関わっていたと観ることもできそうである。これは選定法によってある程度対象の特定が可能でありながら、対象者の属性がまちまちなことの説明にもなる。
 人柱における人と柱の関係はいかなるものなのだろうか。恐らく人身御供のような上下関係ではないだろう。並列的な関係なのか、一体的な関係なのか。
 これらの一連の考察は次章で一次調査分の伝説サンプルを確認してから改めて進めることにしたい。

 


[1]柳田國男・関敬吾『新版日本民俗学入門』(名著出版/昭和57)p373
[2]上同書p374
[3]上同書p3、p8
[4]小松和彦編『怪異の民俗学7 異人・生贄』復刻版(河出書房新社/2022、初版は2001)p14
[5]上同書p84
[6]上同書p85
[7]上同書p98
[8]上同書pp150ー159
[9]上同書p174
[10]高木敏雄『日本傳説集』(郷土研究社/1913)国会図書館DC
[11]藤澤衛彦『日本民族伝説全集』(河出書房/1955-56)国会図書館DC
[12]赤坂憲雄『境界の発生』(講談社/2002、初版は1989)p239
[13]
[14]吉成勇 編『日本神話伝説総覧』(新人物往来社/1992)p286
[15]朝倉治彦・井之口章次・岡野弘彦・松前健 編『神話伝説辞典』(東京堂/昭和38)pp384ー385
[16]松村明 編『大辞林』(三省堂/1988)p2044
[17]薗田稔・橋本政宣 編『神道史大辞典』(吉川弘文館/2004)p45
[18]『日本民俗文化大系 八 村と村人』普及版(小学館/1995、初版は1984)p276
[19]折口信夫『日本藝能史六講』(三教書院/1944)pp40ー45 国会図書館DC