人柱伝説の研究―構造解析による比較および分類を中心に―①「序章」

序 章

一、研究の視座

 研究を始めるにあたって、「民俗学には理論民俗学の分野が欠落している」[1]という小松和彦の苦言について一考しておきたい。
 ここで問われていることは、「学問の意義づけ・位置づけ」である。つまり、自分の研究がその対象学問の中でどのような意味を持つのかという哲学的な問いであり、それが曖昧な研究はその対象学問自体を停滞させる(現在の民俗学の停滞原因となっている)という指摘である。
 筆者は民俗学者ではない。だから民俗学という学問の立場から研究をするといった意識もほとんどない。しかしこの提言は民俗学という分野を超えて学問全般に亘って重要なことだと実感するので、少し思う所を述べておきたい。

 柳田國男の研究手法によれば、「民間伝承」は飽くまで民族文化(その多くは文字化されていない)を浮彫にするための考証材料(資料)である。それは目的によって資料が選択されることを意味する。
 ところがそれが固定化・形式化してしまったのだと小松氏はいう。「民俗」を研究するためにその都度「対象」を選択していたのが、「民俗というラベルの貼られた対象」を研究するようになった、すなわち研究対象の選定に独自性が無くなっていると云うのである。
 これは何を以て「民俗」と見做すかという問題とも絡んでくる。門外漢の筆者などからすれば、ここで問題にされて居る「民俗」というのは、ほぼ「文化」と同義に感ぜられる。双方の分野の先達から叱責を受けることを承知で云えば、社会学とクロスオーバーする点も少なくないのではなかろうか。(筆者の理解としては、民族の心理的特性を基点として過去を読解したり未来を構築するのが社会学で、習俗や伝承の変遷過程を解明することで民族の心性を推測するのが民俗学である。社会にコミットする度合いは圧倒的に前者が強く、むしろ目的ですらある)
 しかしこのような理解に、小松氏は疑問を呈している。単純な置き換えはできないのだと言い、「民俗学の目的」に合致するか否かが重要なのだと述べる。福田アジオを引きながら幾度も繰り返し主張されるのは、現代社会に存在する事象でかつ現代社会の問題と密接に絡んでいるモノということになる。逆に言うと、それを研究することで問題を浮彫にしたり解決に資するということであり、やはりほとんど社会学的である。
 小松氏と言えば「妖怪」や「伝説」の研究者のイメージが強いが、それも表面的な理解というか誤解で、実はそこに作用している人間の「心」を読み解き、現代にも別の事象としてそれが現れている・現れうるといったことを研究している学者、といったことになるだろうか。(しかしこうした研究は逆に対象が著しく限定されるのではなかろうか)

 研究対象や手法の問題は、その学問分野を異にする筆者も指摘された過去がある。しかしそれは筆者の側が「伝統」から逸脱しているというものであった。フランスでは歴史を再解釈(修正)するような研究はできないと仄聞するが、筆者が直面したのもそういう類であった。対象(テーマ)や資料はあらかじめ特定されており、そこから外れる研究は、学者の場合は「異なる書架」に押し込まれ、筆者の如き学徒の場合は発表すら許されないのであった。その意味では小松氏が憂うような状況(現実社会とコミットしない虚学。筆者の経験に照らせば信仰に結びつかない宗学)というのは、むしろ権威をもつ学者の側が作り出しているというのが筆者の理解である。
 「小さなテーマ」が横溢するのは本当に個人の意識の問題だけと断定できるのかといった疑問が漠然とある。「小さなテーマ」にせざるを得ない状況(学問環境)もあるのではないか。
 そしてまた、社会にコミットしない疑問の解明や真理の追究は、本当に無意味な研究なのだろうか。その学問分野で意味が希薄でも、他の学問領域の成果と合せることで価値を生み出す余地があるのではないか。筆者が大学という場に求めていたのも、まさにこうした垣根の無い自由さであった。

 筆者が諸般の研究を行う一番の目的は、自身の内にある疑問の解明である。そこにこだわるのは、自分の信仰や信念(イデオロギー)に深く関係してくるからである。その研究が体系的にどう位置づけられるのかとか、現代の政治や経済的施策にどう使える(あるいは使えない)のかといったようなことは、「学者」ではない私にとってほとんど関心の無いことである。換言すれば、学者に向けてではなく、自分自身や自分と同じ興味・疑問を懐く人に向けて書いているのである。
 ただ、研究を発展させていくことで、どこかの段階で社会的問題に連結させることは可能である。

 以上を踏まえた上で、筆者がこれから行おうとしている研究の意義を改めて述べるに、一つは自分の中の疑問の解明である。それは信仰の問題とも結びつくが学問的には小さなテーマであろう。しかるに現代社会の問題という観点からすれば、伝承や伝説の語られる場が極めて限定的局所的であって、その本質が活かされることなく事故や災害を招いてしまっているという問題を挙げられる。
 これは本来変遷するものとして存在する伝説が、伝承行為の断絶によって変遷しなくなったまま「説話」や「迷信」としてうち捨てられているということである。
 別の言い方をすると、改造を放棄し伝承努力を怠り、全く異なる解釈体系のみですべてを説明しようとしているのであり、そこに歪みが生じても放置され、根本的な対処がなされず、場当たり的・対処療法的な措置で済ませている。したがって、解釈体系を増やすこと、その解釈が既存の解釈と肩を並べられるものだと認識されるための改造こそが必要であり、その改造をいかに行うべきかというところに研究の行く末は結びついてくる。これが第二のテーマ(民俗学的テーマ)といえる。

二、研究のポイント

 副題にも示した如く、人柱伝説の構造解析と系統分類(再定義)を中心に行う。具体的には次の手順で進める。
①:先学の分類案や定義を確認する。
②:人柱伝説を収集し、構成要素を項目別に抽出し、リスト化する。
③:構成要素の数量的分布から各人柱伝説の仕分けを試みる(假分類)。
④:①や構造的類似伝承、人身御供伝説などとの比較・考察を行い、新たな分類や定義を模索する。

 ここで一つ重要となるのは、収集する人柱伝説の定義である。言い換えれば、研究対象の範囲である。この研究調査の対象範囲としては、様々な制約からひとまづは手近な文献資料に限って収集する。(典拠の確認できない資料が多いことが想定されるがそれも一旦留保する)
 次に、定義的な範囲としては、明確に「人柱」と言及されるものを拾い、「人身御供」と分別するのは良いとして、キーワードや型式などから暗示されている「推定人柱」や「推定人身御供」の扱いが問題となる。これらに関しては、定型的な伝説と比較する方が良いと判断するので、一旦分けて考える。

三、人柱伝説への視座

 筆者が何故人柱伝説を採り上げるのかについて簡単に述べておく。冒頭でも少し触れたがこの類の伝説は筆者の信仰と関係してくる。その信仰とは龍神信仰である。龍神はより広義には水神である。人柱や人身御供は、水辺で実行されたり水神や龍蛇神への供犠(あるいは御供)とされるのを通例とする。
 人身御供はカミへの御供であることを謳っており両者の関係性は明確である。一方人柱はこの関係性の部分が曖昧で、宗教儀礼と呼ぶにも宗教者の影が希薄(というよりほぼ無いケースがほとんど)である。人柱という行為に疑問があるとすればまさにここで、伝統教団(日本の大乗仏教各派)やその土地の神々と人柱はどのように位置づけられるのか(あるいはそもそも位置づけは不可能なのか)。こういった点が人柱伝説に対する筆者の根源的な疑問である。(但し、これらの研究はその土地の歴史や宗教史などまで把握する必要があり容易ではなかろう)
 人柱伝説を種々分析した上で分類(再定義)を試みようとするのは、従来のように種々の人柱伝説を十把にしたままでは上述したような疑問に答えられないと感じたからである。先学の議論は「説話伝承説」や「特殊工法説」による否定とその反論としての「供犠論」「儀礼説」に終始したわけだが、それらは択一なのではなく恐らくすべて含まれているというのが筆者の仮説である。つまり虚構の人柱、比喩的人柱、供犠としての人柱、民間儀礼としての人柱が伝承され、そしてその影に伝承されない無数の人柱があったという想定である。このような想定は、人柱伝説を集めれば集めるほどに諸説ごとの弱点が浮彫となることから生じたものである。どの説(主張)を採ってもすべての人柱伝説に適用されないとなれば、定義自体を見直すしかないであろう。つまり「同じ分類の伝説」を議論しているようでいて、実は「違う分類系統の伝説」を議論している可能性である。

 本地垂迹説に代表されるように、日本人は共通属性や私的解釈による習合を、良く言えば文化的に、悪く言えば闇雲に行ってきた。本来はまったく違うカミが同体として流布され記録され上書きされ信仰されてきた。それと同様に人柱行為もまた説話として、あるいは儀礼として、「人柱」という語で一括りにされているのではないか。この研究はそれをひもとく試みでもある。
 尤も、このような細分化はイケニエをテーマとした論考では既に言及されている。ただそれも飽くまで変遷の過程においての変化を構造的に指摘するもので、定義や分類の話ではなく真偽論や意味論の範疇である。
 参考までに、筆者がどのような認識から出発するかを簡単に述べておく。作業仮説として、人柱伝説にはいくつかの型式があるだろうと理解している。これはただ一つの原初的な型だけを基準として、そこから外れるものをすべてオリジナルの変奏と見なすような文学的認識に立たないことを意味する。またすべての人柱伝説を虚構(あるいは真実)と見なす立場にもないことを意味する。「人柱伝説」自体が単立になるか、あるいは別のカテゴリの下位に包含されるか、あるいはまた別の伝説群と並列になるのかといったことはまだ何とも云えない。
 概ねこのような認識であるが、類似の伝説に着目した場合、そちらが本来の姿に近いもので、それが「人柱伝説」の型式を採ったことによってメカニズムの曖昧な話になったのではないかと観じるところである。最終的にこの辺りまで論述できればと考えている。

 


[1]小松和彦編『記憶する民俗社会』(人文書院/二〇〇〇)二五頁。