第8話【伝承の大海に思考の小舟さすらひて】
大蛇伝説の残る山の工事で八ヶ月の間に六回も掘削機の刃が折れたという事実は、酒で眠らせた八岐大蛇を斬り刻んでいくと尾の辺りで剣が折れたという神話を否応なしに思い出させる。
だまし討ちで八頭のオロチを斬り殺したスサノオは意気揚々とオロチの剣を奪い、天照大神へ献上した。その神剣は天皇家の三種の神器の一つとなるが、結局祟りを恐れて現物は遠ざけられ、熱田で祀られることになった。
二葉山を斬り開く刃は既に六回折れた。八回折れる時、何か良くないことが起きる気がする。一時的に勝利(成功)しても、後々大変なことになりそうな予感がある。
しかし自分は土地の人間ではない。可否を決めるのは、土地の人間だ。
そうこうするうち思いのほか遅くなってしまった。もうじき四時になる。日が傾き始めてからの参拝はあまりよろしくない上に、写真の写りも劣化するので、鶴羽根神社へは寄らず駅の南口へ向った(この日参拝できなかった尾長天満宮と鶴羽根神社は後日再訪した)。
南口も大規模な再開発をしているようだ。エールエールの対岸にある窮屈げなバスターミナルを見渡すと、商工センターの奥のほうへいくバスが待機していた。一瞬、これに乗ってみようかと思ったが、想い出に乏しい処を歩くよりも、若い頃に友人たちと幾度となく歩いた「シナイ」を歩きたいと思い直した。
駅前大橋を渡り、大通りを歩く。高校生の頃から幾度となく通い詰めた中古CD店があった土地には、真新しげなビルが建って居た。
稲荷町の大きな交差点を右折すると、灯りの点った提灯が見えた。
高層ビルの傍らで肩身が狭そうに建つ稲生神社の社頭には大きなうさぎの絵馬が設置され、有名人が過去に奉納した幟がゆらゆらと翻っていた。
三十分以上歩いて八丁堀の辺りまで来た。
ここいらにあった中古盤屋もぬいぐるみ専門店もとうに無くなって居るのは承知して居たが、それらの店がかつてあった通りを歩いた。
「知って居るようで知らない町だ」
ビルの狭間の奥まった処から古いエレベイターで上がるお気に入りの喫茶店も、ついに見つけることはできなかった。
一休みする当てが外れ、歩き続けで疲れても居た。
立町の電停からそごうを見上げる。そごうのマークと「バスセンター」の文字が懐かしかった。足を引きずるようにそごうの三階へ向った。
1番線乗り場は高速バス専用になっていて、取り壊された市民球場の跡地を、重機が残照を浴びながら腕を振り回して居た。
2番線から鈴ヶ峰・バイパス経由のバスに乗った。
古江停留所の音声案内では、三輪明神の宣伝が流れた。三輪明神は『廣島縣神社誌』に記載が無い国津神の神社だ。
「広島にあるのをすっかり忘れて居たな」
狛犬は居ないが、曲がりくねった坂道の上にある、雰囲気の良い神社だった記憶がある。
その古江停留所と鈴ヶ峰の停留所で降車する客が少なからず居た。
暗くてもうよく判らなかったが、「鈴が峰」には懐かしい響きがあった。幼い頃に祖母と歩いた丘の上の団地――。
祖母がもう施設から帰ることが叶わなくなって、家を引払うための手伝いで行って以来である。
バスが動き出すと、換気と称して開けられた窓から寒風が轟々と吹き込む。車内アナウンスの声を聞き漏らすまいと、私はまた耳をすませた。
【第1話―第8話主要参考・引用文献】
廣島縣神社誌編纂委員会編『廣島縣神社誌』(広島県神社庁/H7)
なお『廣島縣神社誌』からの引用部分で承久年間が「1119-22」となっている箇所は「1219-22」に訂正し記載した。
廣島市役所 編『廣島市史社寺史』(廣島市役所/T13)[国立国会図書館公開データ]
柳田國男『一目小僧その他』(小山書店/S9)[国立国会図書館公開データ]
その他個別の参考資料は各頁に記載した。