Hiroshima-Wandelinger第4話【山と海の境界―南区】

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【山と海の境界―南区】
 陸地側から瀬戸内海を見渡して件の島々は確かに見えるようだ(高層建築の無い時代にはより一層見通しが利くだろう)が、それでもその島並が大蛇のようだというのは余りに苦しかろう。
 ただ海上交通の際の何らかの目印にされた可能性はある。
 瀬戸内海は列島を囲う四方の海に比べて穏やかとされるが、それは波の話であり、海流はわりと複雑で渦潮も強力と言われる。因島を拠点とし瀬戸内の海上交通を牛耳った村上水軍(海賊)の存在もそれを物語る。
 しかし村上水軍(海賊)の全盛期は室町期から戦国期であり、また因島は広島県の東部である。
 観立てで云うならば、むしろ牛田山から二葉山に至る一連の山なみ自体が、大蛇に観える。
(ここで地理院地図の画像を示したかったが、該当の地図及び表示法がどの利用規約に当たるのかよく判らないので却下し、現地周辺の案内板と手書き略地図を掲げる)

 左の写真の緑色の部分に注目してほしい。この山並みの形状がそのまま大蛇に観えるであろう。そしてちょうどしっぽの部分が「尾長山」である。黒髪山(現二葉山)は切断されたしっぽの先に当る。
 しかしこのような観立てもまた伝説との関連性においては希薄と言わざるを得ない。伝説を重視すれば、名の由来も清盛の方も、山→海ではなく、海→山の視点になるはずだからである。
 右の略図は工事中の道路と広島高速1号線の関係図である。
 記憶が確かなら、現在は空港→山陽道→高速1号→R70→R84→広島駅前というルートだが、大型商業施設もあってこの二つの県道は渋滞しやすい。県道を迂回して駅へ行く(逆の場合は空港へ行く)ルートを増やすつもりなのだろうが、二葉山を貫通した後、更に東側の山並みも貫通する必要があることがわかる。

 次に、山と海の間の土地に注目してみる。


 黒髪山南方の区域は南区になる。その南区の北大河町に真幡まはた神社がある。社の真名は黄幡おうばん社という。主祭神は泉津道守神[よもつちもりのかみ]という聞き慣れぬカミだ。その由緒は次のようなものである。

当浦は、荒天の際海陸ともに往来極めて困難で災難多し。故に元和三年(1617)創建勧請した。(『廣島縣神社誌』より主意)

 十七世紀初頭、この辺りが海のすぐ傍で、かつまた通行の難所であったことが判る。しかるに、勧請されて居るのは海神ではなく泉津道守神だ。
 また、南区仁保4丁目の住吉神社には次のような縁起伝承がある。

寛政五年(1793)、当浦裾のあざ露霞渡に毎夜物の怪出て通行を妨害したため、社殿を建てて住吉三神を勧請したところ、物の怪は出なくなった。(『廣島縣神社誌』より主意)

 祭神を中心に見れば、前者は陸地、後者は海上の方に力点がある。
 時代がだいぶ下ってはいるが、黒髪山の伝承と一部類似する要素(神威による通行難の解消)が見られる。

 泉津道守神については詳細不詳だが、『日本書紀』に泉守道者よもつちもりひとなるモノが登場する場面がある。(神代上第五段一書第十)
 それは伊弉諾尊が黄泉の住人となった伊弉冉尊から逃げていき最後にコトドを渡すシーンである。泉守道者は伊弉冉尊のコトドの代理をする。小学館版の註釈では「黄泉の入口の道を守る人」と解してある。言わば門番であるが、伊弉冉尊の代理をしていることからも、境界的な存在と知れる。
 この泉守道者と泉津道守神が同一ないし近類であるとすれば、死者と絡めて(重点を置いて)勧請されたと解せるだろう。それは相殿に祀られる塞座三柱神[さやりますみはしらのかみ]の存在からも裏付けられよう。この三柱の神のうち一柱は黄泉ひら坂を塞ぐ巨石こと塞座黄泉戸大神ふさがりますよもつどおおかみ泉門塞之大神よみどにさやりますおおかみ)であることは疑いない。

 また黄幡神に注目すると、これは陰陽道と関連が深く、七つの星に対応させた八つの神格(八将神)の一つである。
 八将神とは、大将軍神・大歳神・大陰神・歳破神・歳刑神・歳殺神・黄幡神・豹尾神の総称である。
 黄幡神以外で比較的よく目にするのは大将軍神と大歳神だいさいじんであろう。
 何故八つのうちこの三つに集中するのかといえば、対応している星とその意味(信仰)が影響していると推察される。すなわち、大将軍神は金星(明星)であり、大歳神は木星である。
 金星は五行の秋に該当し太白星とも呼ばれて最も重視された。特に宵の明星は凶兆として、その方角も忌避されるが、暁の明星は吉として密教などでも重要視された。一般的に明星信仰という場合は後者を指す。
 木星は五行の春に該当し吉星としてやはり重視される。逆に、夏に配当される火星は凶、冬に配当される水星も信仰対象としての広まりはない。
 あとは漢字の問題といって過言でなく、祭祀対象として無難な羅睺星の黄幡神の選出機会が多かったと観る。羅睺星は太陽と月が交わる地点の星である。また日光・月光を遮り「食」を起すとも言われる。
 これらの星神は方角の吉凶とも結びついて居るので、木・火・金・水が東・南・西・北、土が中央と某であるからして、羅睺星は当然それ以外の方角になるわけだが、万物の死せる方位を示すという属性から考えると、恐らく鬼門である北東(丑寅)ではなかろうか。そうであればこそ、泉津道守神を祀る社を黄幡社と名づけたわけである。

 黄幡社・黄幡神社と称される神社の祭神は一定ではないようだが、陰陽道では八王子信仰と絡めて説かれており、管見では記紀の大歳神や牛頭天王、猿田彦神を当てる例が多い。
 猿田彦神は道祖神とも習合して居るので、やはり境界、特に道や方角の境界である辻や鬼門の神として繋がりやすい。大歳神は記紀に登場する「オオトシガミ」(大歳神/大年神)と習合し、牛頭天王は素戔嗚尊と同一視されている。従って、現在素戔嗚尊を祭神としている黄幡社は、特に挿げ替えたというわけではない。

 

【参考文献】
『陰陽道の本』(学習研究社/1993)
岡田芳朗・阿久根末忠編『現代こよみ読み解き事典』(柏書房/1993)