Hiroshima-Wandelinger第2話【二葉山の工事と大いなる黒蛇の伝説】

民俗伝承[日本]

【二葉山の工事と大いなる黒蛇の伝説】
 東照宮の西側には大蛇伝説の残る社があるということを最近知ったが、立入り禁止となっていた。
 その社は黒髪山地主大明神といい、大神社と略称される。主祭神は大穴牟遅命に比定されている。昭和二十年(1945)の原爆で倒壊したらしいが、平成六年(1994)の時点で再建されておらず、それから三十年余り経っても未だまともな神社として扱われていないかのようだ。
 実は、こちらを初詣したかったのだが、お預けと相成った。誰もカミへ参拝しないことで生じるリスクの方が猪出没に伴うリスクよりも高いと思うのだが、さればこそ、このような暗示的な立て札があるのかも知れない。

 そこからまた少し西へ行くと、大きな道路が高架になって居た。以前には無かったものだ。
 別の日にタクシードライバーから聞いた話だが、何でも広島空港(東広島)まで繋げるつもりで造っているらしい。ところが工事は頓挫して放置されたままだという。
 広島空港は山陽自動車道の河内ICが最寄りで、山陽自動車道へは東区北部の広島高速1号が連結になる。広島高速1号は東区と府中町の境の辺りで県道R70に連結しているので、恐らくここへ繋げたいのであろう。しかしそのために二葉山を貫通させるつもりらしい。

 二葉山には金光稲荷神社の奥宮のほか、仏舎利塔もある。
 工事が中断している理由は不明だが(現地案内板には「協議中」とある)、北口の再開発は昔からいろいろと問題が生じては計画が頓挫するケースが多いように感じる。数年前にイケアが出店を取りやめたという話は東京にも聞こえていた。
 過去の報道によると、この新設道路は「広島高速5号二葉山トンネル」で、掘削機のトラブルが相次いで工期が大幅に伸び、追加料金について「協議中」ということらしい。
 タクシードライバーの口からふと零れた「神さまの山を……」という言葉がよみがえる。何処の神主が担当したのか不明だが、大々的な工事に際してお祓いはしているはずだ。それでもこれほどに異常が相次ぐのなら、お祓いとは別のことが必要なのかも知れない。

 黒髪山地主大神社も、昭和二十年八月六日に、山麓の諸々の神社と伴に灰燼に帰した。だが、周辺のほかの神社が軒並み再建されながら、何故か未だにこの神社だけ再建されていないらしい。
 大蛇伝説と黒髪山地主大神社という社号を考慮すれば、それは山が御神体だったからではないのか。
 気になって『廣島縣神社誌』を繙いてみると、次のような記述があった。

 黒髪または尾長と称する由来は、当山に大いなる黒蛇ありて時々海中に出没す。その頭は海に入るも尾は山中にあるによりて尾長と称す
 また黒蛇はしばしば海上の難船を助けたので、黒神とも称された。そこから転じて黒髪山になった。また別に、この黒蛇の居る所常に霞が掛かる故、霞山ともいう。
 平清盛が瀬戸を開くとき、この神の霊験があったといい、久寿年間(1154-56)社殿を再建し地主尾長大神と号した。
 承久年間(1219-22)には安芸国守護武田信光が再建した。
 文和年間(1352-56)当地峯姫神社の天照大神ならびに宇迦之御魂神を合祀。同時期に武田直信が整備した天神宮(現尾長天満宮)と併せて銀山城の守護神とし、祭祀管理は家臣の串家に一任した。
 武田家滅亡後、毛利元就は神主を渡邊氏に命じた。天正年間(1573-92)毛利輝元が社領を寄進。
 慶安元年(1648)家康の外孫であった浅野光晟は、当地に東照宮を造営し、元から当地にあった地主神のほうを相殿へ遷した
 明治二年、東照宮から分社し、東照宮の西側を境内地として独立した。[以上主意]

 一連の記述を整理すると、「尾長」は当地の地名や尾根を連ねる山の名にも見られるので、「地主尾長大神」とは大蛇であるかどうかは兎も角、古くからこの土地に棲まうカミであることが理解される。そして「当山」に居るということから「ヤマノカミ」でありつつ、海に出没し海運に関係して崇敬されたことが窺える。
 中でも特に重要と思えるのは、海に出没するという点と、清盛の逸話である。何故と言うと、「海」と「黒髪」というワードからすぐに大黒神島を想起したからである。
 清盛が平家の首領として嚴島神社を崇敬したことはよく知られて居るが、大神社の伝承を踏まえると霊験を示したカミは嚴島神(宗像系)や弁才天とは異なるカミだということが判る。しかも「山」のカミなのに「瀬戸(海)」で、「東区」のカミなのに「呉・江田島」で霊験を発揮したということになる。
 もう一つの謎は、「大いなる黒蛇」を称して「黒神」ではなく「黒髪」だという点だが、命名由来はだいたい単純なのが通例である。
 「蛇」と「髪」の共通点は細くて長いという点であろう。「神」と「髪」の如く音を掛けるのは古来より大和の民が良く為すところでもある。
 現在の通称である「二葉山」は少なくとも幕末頃に出て来た新しい名である。
 「その頭は海に入るも尾は山中にある」というのは、山から海までが通じている・繋がって居ることを表している。そしてこれを「尾長」と称した。「尾長」は黒髪山から東へ延びる尾根が南北の尾根とクロスする地点(尾長山)及びその麓の地区に残る(この付近の天満宮は尾長天満宮と呼ばれる)。

 そしてそれが「海上の難船を助けた」。宗像・住吉・嚴島などとは違う海運に関係するカミの存在が見え隠れする。

 日本の宗教にある程度詳しい人なら、金毘羅を想起したかも知れない。金毘羅神は神道の大物主神に比定されている。総本宮は香川県仲多度郡琴平町の琴平山である。
 大物主神は大穴牟遅命の幸魂・奇魂であり奈良の大神神社の主祭神でもある。また蛇と関連する逸話が記紀に見られる。しかし海運とは直接関係がない。
 ところが仏教のクンビーラと金毘羅が音通することで習合し、金毘羅大権現と呼ばれて海上守護のカミとしても崇拝された。
 一見すると、大物主神(金毘羅大権現)が鎮座していたことで「権現山」となり、伝承は大物主神による山陽沿岸の平定に由来するとも解せる。だが、それなら祭神は大物主神になるはずだ。おまけに「金」と「黒」とでは落差がありすぎる。「黒蛇」というのは後世に貶められた姿なのだろうか。