Hiroshima-Wandelinger第1話【八年ぶりの東区】

随想録

第零話【プロローグ】

第1話【八年ぶりの東区】

 初詣先を東区の寺社にしたのには幾つか理由があるが、広島駅の北側(新幹線口)に集中して居て、交通手段について悩む必要がないというのもその一つであった。
 JRの車両は新しいものが導入されて居た。
 以前はクリーム地に青いラインの車両で、たまに緑地にオレンジのラインのものだったが、今は銀地に赤いラインで、競走馬の顔に付けるような遮蔽装置がライトの部分に取り付けてある。座席は基本的に前後向かい合わせのボックス席になっていて、英語のアナウンスがやけにもっさりした口調でしゃべる。
 私電と同じく立ち乗りになることが多いが、所要時間はほぼ半分だ。
 横川と広島の間の新白島という駅は、2015年にできた比較的新しい駅だが、そこで乗り降りする客が結構いた。
 広島駅北口を出ると、県道(R84)をまたぐ歩道橋が新設されて居て、そこからまた道路へ下りるエスカレイターもあった。
 エスカレイターの乗り口付近で女がチラシを配って居た。耳が拾った言葉の断片と横目にチラシを見た感じでは、埼玉県内の某駅前で見かけた宗教団体と恐らく同じであろう。あの時に受取ったチラシの湿り気を思い出す。渋谷のハチ公前で街宣をしていた僧侶もそうだが、彼らに宗派を問うと、祖師の名前は出しても自らの団体名はなかなか口にしない。どちらの団体も祖師の教義と何の関係もない政治的な主張をしているのだから、ダシにされる祖師としても堪ったもんじゃなかろう。

 東照宮前に広がっていた空き地は減って、高層ビルや大きな施設が視界を遮り始めて居る。
 ぽつんと佇んで居た大樹は整備された公園の一角に遺されていた。それでも、この北口エリアの再開発はいまだ完了していない様子であった。
 七つの寺社が共催する七福神廻りが奏効定着してか、日蓮宗本山・國前寺には一見のような家族連れや若い女たちの姿も垣間見られた。
 堂宇は解放されていて皆中ヘ入るのだが、手を合わせる者よりもスマフォを掲げる者の方が多い。金色の限定御朱印なるモノが束で置いてあって、どう見ても坊さんに見えない初老の男が受付をしていた。
 本山クラスの寺でさえ、読経と祈祷が済めば坊主のお役目は仕舞いなのである。信者を増やすとか、信仰に入らしめるといった考えは毛頭無く、初めて敷居をまたいだ者たちもそそくさと次の寺社へ向う。それが現代日本の宗教事情なのだ。

 かく言う私も時間が押していたので天満宮には寄らず、東照宮へ向う。
 幟旗の翻る参道を歩いてやや急な石段を登る。境内には参拝客の対応をする特設ブースが唐門の翼廊にそって設置され、緋袴の巫女がずらりと居た。
 八年前と比較するためあちこち写真を撮りたいのだが、どうも撮りづらい。こんなに巫女が居ただろうか。
 仕方なく並べてある物を眺める。うさぎの縁起物が増えていて、絵馬も御朱印も種類が増えているようだ。波乗り兎の絵馬は、デザインが若干モデルチェンジされていた。
 同一人物かは不明だが、参拝をすると賽銭箱の影から白装束の神職が唐突に現れ、幣を振るうのは八年前と変わらない。
 絵馬を書いていた女性が顔を上げて、今年は令和何年でしたでしょうかと尋ねる。五年ですと即答する。
 おくるみを抱いた若い女が急な石段を恐る恐る下りていく。時折り隣の男が気遣わしげに見返る。手ぐらい貸してやれよと思う。
 石段を登ってくる老人は途中で立ち止まり、数段後から続く老婆に切れ切れの息で何事かつぶやく。
 身軽な私は老若の夫婦の間を駈けるように降りた。