Shimane-Wandelinger第2話【常世神社と出雲のうさぎ】

参拝の記録・記憶

<前回のお話し>
 出雲大社周辺の荒神社の調査に来たさすらいは、弱電鋼鉄椅子自転車に四苦八苦しながら無事調査を終えた。
 しかし途中立ち寄った「稲佐の浜」でならず者老人に行く手を阻まれたのが無念であった。
 そこで自転車を返却したさすらいは、再度車で浜を訪れることにした。

第二話「常世神社と出雲のうさぎ」

 日没迫る神話の浜辺には、二時間前よりも多くの人が詰めかけて居た。
 太陽は空一面をおおう霞の向こうにあって、ぼんやりとした月のような淡い光を放って居た。
 何千年もはるか昔、この辺り一帯には出雲の王国があった。
 彼らはこの海の彼方にある大陸の、更に西側にいくつか国境を越えた土地から渡来したと言われる。
 しかし彼らの後からやってきた「異民」によって、土地を追われた。
 彼らは『日本書紀』とは異なる歴史を知る一族だった――。

 さざなみの音を聴きながら、私はそんな浪漫に思いを馳せて居た。
 このまま淡い陽球の行く末を最後まで見届けたかったが、宿のチェックイン時刻も迫りつつあった。
「もっと遅い時間にしとけば良かったな」
 後ろ髪を引かれながら神話の舞台から去ることにした。

 

 二日目の朝食はバラパン。
 島根県で定番のパンらしい。
 食べ応えがあってお腹はいっぱいになった。

 

 昨日の夕方霞んでいた空に雲は無かった。
 出雲大社へ行く前に、私はとある神社へ寄り道をすることにした。
 地図で荒神社を探してる時に見つけてから、その神社も気になっていた。
 そこは「常世とこよ」を冠した神社だった。

 

 事前にネットで調べてみたが、島根県神社庁のサイトでは主祭神の欄が空白になっていた。
 それがいったい何を意味しているのかは判らない。
 神社庁に未加盟で形だけの登録だからか、それとも管理者から情報が挙げられていないのか、あるいは本当に祭神が不明なのか。
 そんなミステリアスなところも一層興味をかき立てた。

 狛犬の代わりに随身門があった。
 国津神系の神社は、なぜか狛犬を見かけないことが多い。
 狛犬の原点はオリエントにあり、やがて貴人の前に小型のものが置かれるようになり、それが寺社にも設置されていく流れを思えば、狛犬が居ないのは文化的なルーツを異にするということが言えそうである。
 門の内部には矢大神・左大神が対面で置かれ、小型の獅子も数体あった。

 

 拝殿は昨日散々目にしたのと同じく、全面の格子戸と巨大な注連縄をもっていた。更に弊殿と本殿が板張りで連結されているのも同様であった。
 ひょっとすると、荒神社に特有の形式なのではなくて、出雲地方に特有の社殿形式なのかも知れないが、まだ断定はできない。
 本殿は流れ造りの平入りで千木が無いが、内部空間にもう一つ社殿がある可能性もある。

 

 境内には小さなほこらがたくさんあった。どの祠にも新しい紙垂しでの付いた細い注連縄が回されている。
 そんな祠の列にぽつんと、わらでこしらえた龍の頭部らしきオブジェが台座に載せられているのが目を惹いた。
 これはいったいどういう意味をもつのだろうか。ヲロチの斬り落された頭部を祀るといった信仰か、はたまた荒神の使者かと思いながら特に念入りに参拝回向えこうした。

 

 神社の前を横切る道を、自転車の女子校生が二人駆けていくのを見送って、私は彼女たちとは反対の方角へ車を走らせた。
 十五分ほどで到着した出雲大社の駐車場には、平日の朝にもかかわらず既にぽつぽつと車の影が見られた。
 車から出ると、心が浮き立つような妙な感覚を覚えた。それはまるで、神域からにじみ出た霊気を吸い込んでテンションが上がったようだといえば、伝わるだろうか。
 日本のもりがもつ独特の雰囲気といっても良いだろう。そして少なくとも、私はこの神社と「気が合う」ということだ。
 私はあと何年生きられるか判らないが、どんなに有名な神社でも一度も足を踏み入れることなく終わる神社もあるだろう。(何処とは云わないが)
 それに対して、若い頃から不思議な縁でちょくちょく訪れる神社というのもある。この出雲大社のように。
 されど、かつて伴に参拝した彼らと訪れることは、恐らくもう二度とない。

 鳥居をくぐる前に、物陰から参拝者をうかがう小さな視線があることに気づいた。
 狛犬は居ないが、兎がたくさん居る。その兎たちを見ていると、先ほどまでとはまた違った感情が湧き上がってきた。
「かわいい、かわいい。ああかわいい」
 私は無我の境地でうさぎさんの写真を撮りまくる。
 挙動不審の私に眉をひそめる女性たちが、兎に気づいた途端、「あ、うさぎ」と言って近づいて来た。
 私は我に返ってその場を離れた。

 

 朝の参道は空気がまだ澄んでいて、スズメが朝餉あさげでも探しているのか、てんてこ跳ねながら時折りさえずる。
 その向こうからはハトが首をがくがくさせながら、ちょこちょこと歩いて来る。
 そんな私を一人のスーツ姿の男性が追い越していく。その男性は背中にリュックを背負って、左の二の腕にスーツケイスをぶら下げたまま歩いて居た。
 多くの神社で、境内への「車両」の乗り入れを禁じている。それはかつて「下馬」を要請していたことの名残である。
 現代ではその意味性もやや変わり、境内での事故の懸念や参道の保護といった意味もあるし、車椅子の参拝者の受入といった問題とも絡んでくるわけだが、スーツケイスも「タイヤ」が付いており、そして車椅子と違って「音」が出る点が以前からずっと気になっていた。
 どうしてもスーツケイスを持ったまま参拝せざるを得ない状況があることは、私にも経験があるから理解できる。そんな時、私は必ず境内で引きずらないように心がけていた。
 明確に持込を禁じている例は寡聞にして知らないが、だからこそ自主的に配慮できる人を目の当たりにしたのはうれしい驚きであった。
 神社は「観光地」ではなく、「宗教施設」だということを今一度認識しておきたい。お偉いさん方に個人的な頼み事があって訪問した際に、その敷地をだらだらと荷物を引きずって歩くのか、ということである。門(鳥居)をくぐる時から、儀礼は試されていると思ったほうが良いだろう。

 橋を渡ると参道は二叉に別れる。川べりのうさぎを撮影しながら左の道を歩いた。
 広場があり、その端の方にもたくさんの兎が居た。案内板によると、かなり広範囲に置かれて居るようだ。
 あまりのかわいさにひたすら撮りまくっていると、二人組の若い女性が近付いてきて私が何をしているか理解した風だった。

 

 松林を抜けると神話の一場面らしき銅像があった。
 いや、これは神話の一場面というより、童話の一場面というほうが適切かも知れない。

 

 ぽつんと孤立する拝殿を裏手に回り込むと、厳重な板垣に取り囲まれた社殿群の屋根がわずかに望まれた。
 昨日の一件があったので、私は社殿の千木に注目していた。
 出雲大社の千木はいづれも「垂直切り」だった。

 

 社殿の裏手にもうさぎたちの姿があった。
 いかめしい狛犬よりも、優しいオオクニヌシにぴったりだと思った。
 かつてここには北島国造家の屋敷があったという。
 西側の遙拝所のそばで女性職員らしき人がしゃがんで石畳の溝をきれいにしていた。

 

 境内は徐々に、うさぎたちのひそひそ声から参拝者たちのざわめきへと変わりつつあった。
 拝殿から漏れ聞こえてくる規則正しい太鼓の音に、甲高い笛の音が乗る。誰かの拍手が響く。
 私は記念にうさぎの絵馬を頂いて、このすがすがしい朝の境内を後にした。

(第三話へつづく)