当初の予定では次に安倍文殊院を訪ねるつもりであったが、予定を変更して墨坂神社へ向った。
二十分ほど国道を東へ走ると、宇陀川に当る。橋を渡ってすぐのところに石の鳥居があった。細い路だがぎりぎり車も通れるようだ。対向車が来ないことを祈りつつ鳥居をくぐる。
宇陀川沿いに少し行くとすぐに神社へ着いたが、駐車場が判らない。道に任せて進むと広い境内に車が一台停まって居た。ここで良いのか判らないが、停めさせてもらうことにする。
予想に反して境内に人の姿は無かった。社務所も閉まっているようだ(しかし車は一台停まっていた)。
日はまだ高いが午后四時をまわっている。事前に調べた限りでは五時までと伺っていたが、縁が乏しかったというべきであろうか。
ここは本社に大物主神が祀られて居るのだが、それとは別に摂社龍王宮があり、そこでは「波動水」なる霊水もある。
【墨坂神社の由緒】
崇神天皇の御宇、疫病流行した折に、天皇は大物主神より神誨を得て赤楯八枚・赤矛八竿をもって墨坂の神を祀った(『日本書紀』)。これを起源とする。雄略天皇の条・註文にもこの神の名が見える。
古くは六所権現、天野の宮ともいう。
もとは西峠字天の森にあったが、文安六年(1449)に遷座。(『古老伝』)
旧県社。
(以上、『神道大辭典』『神社辞典』を基に作成)
「宇陀の墨坂神に、赤き色の楯・矛を祭りき。」(原漢文/小学館版『新編古事記』一八五頁)とある。
墨坂大神とは天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六神の総称としている。(大物主神は筆頭でなく末尾の扱い)
旧社地については「この天野の地は天富命の蹄跡とも伝えられ、明治初期までは神仏混合により偏照山薬王院天野寺として祀られており、六社権現または天野宮とも称されていました。」とある。
「六所権現」「六社権現」という社号からは、やはり六柱の神の鎮座を想起させるが、墨坂大神が当初から上記の六柱を指したかは判らない。当初は大國主神のように、異名や縁故の深いカミの習合だったのではないかと思う(記紀をベースに考えれば大物主大神が主体的役割を担ったのではないか)。しかしやがて上記のような高次元の神々との統合(「権現」号は仏教からのアプローチを思わせる)によって固定化されたと推察する。
「西峠字天の森」については、道路地図で見ると神社の北西、国道R165の信号交差点に「西峠」を確認できる。
「天の森」については見いだされないが、榛原町教育委員会の遺跡発掘調査報告によれば、やはり神社の北西・現在の榛原町あかね台付近に古墳群や遺跡が集中しており、そのうちに「天ノ森遺跡」があった。この遺跡は標高340~350メートルほどの尾根にあり、縄文~古代・中世の遺物が見つかっているという。また西峠は大和地方と宇陀地方の境にあたり交通の要所でもあった。(参考:榛原町教育委員会編『榛原町内遺跡発掘調査概要報告書 1998年度』(榛原町教育委員会/2000)七―八頁)
低い石垣の上に建てられた翼廊付きの四脚門は、白い板、朱色の柱、緑の格子で彩られ、背景の昏い杜の中でひときわ目を惹く。しかし所々苔むしたその石垣と、金のしゃちほこが乗った灰色の丸瓦の屋根に挟まれて派手さを抑えている。
妻入りの拝殿もかなり装飾的だ。瓦には神紋が彫られ、蟇股、懸魚、注連縄、釣灯籠、朱色の柵、紋様の入った布、絵馬などが目につく。蟇股は彩色されていて、抽象的だが蓮と宝珠のようにも観える。また端の方に奉納瓦が積まれて居て、奉納者の名前と願いが記入されたものが丁寧に並べてあった。
とりあえず本社を参拝してから翼廊脇の通路を通って龍王宮へ向った。
祭神は罔象女神と表記がある。由緒等は見当たらない(公式サイトも祭神のみの紹介)。
参道に立ち並ぶ献灯と一基の朱の鳥居は比較的新しいもののようである。
奥には小ぶりの拝殿があり小さな池を挟んだ対岸に、御神体の岩と小さい祠があった。
岩の方が大きくて正面にあるので、こちらが罔象女神であろうか。すると隣の祠はいかなるカミを祭っているのであろうか。
池には落ち葉がたくさん浮いているが、背後の杜にはまだ色づいた紅葉が観られる。池の真上だけがぽっかりと空いている。
風は無く、水面の枯れ葉も静止している。どことなく、この寂寞とした小さな水場は、病み臥した伊弉冉尊の体内から出生したという罔象女神を象徴しているように感じた。
右手の方に龍の石像と、二つの蛇口、伏せたコップが幾つかあった。これが「波動水」のようだ。
コップは使った後の処理がよく判らないので使うのは控え、てのひらに水を受けて頂いた。
波動水は別名「奇跡の水」とも呼ばれ、「水道水の100倍(5万パワー)」の霊水であるという。何が5万パワーなのかは不明だが、恐らく「波動」がであろうか。
波動というのは、祭神の霊威を受けているという意味と思われる。その証左として、「あなたの肉体を始め神霊を清めて頂く霊験高々なお水」と現地の立て板に表記されている。この「神霊を清め」というところがポイントである。
水道水は人工的に濾過消毒した水であるが、それでも大元は山から生じた(河川から取水した)ものであるから山河にもよるが幾許かの波動はもつ。しかし下流域で浄水処理されているため微々たるものである。山地の水源から直接採取した水がコンビニなどで売られているが、それを飲み続けて霊力が増したという話も聞いたことがない。
一方「霊水」と呼ばれるような水は必ずしも山奥の秘境にその存在が限定されているわけでもない。恐らくは地脈や龍脈などと同様に特殊な磁場であることが重要なのだろう。
特に伝承があるわけでもないこの「波動水」は、そういう意味で神域に通じる水であるから「5万パワー(水道水の100倍)」なのであろう。それを頂けるのはまことに有難いことである。
なお、この水は県の「やまとの水」に認定されている。
参拝と回向を終えて木立の囲う水場を離れる。広い境内に出ると、真っ青な空を背景にして橙色の日射しが朱色の社殿群と黒々した杉の木を照らしていた。
更にその木の天頂辺りから小さな龍蛇が次々躍り出し、東の方からも二体の小龍が躍動しながら境内上空へやってくる。ぐるり見渡すと西からも一体、龍が杜へ入ろうとしている。おお、なんという神秘であろう。
私は小さな龍蛇たちの姿がかき消えるまで、独りくるくる回りながら紺碧の空を見上げて居た。
やまとの水
奈良県公式ホームページによると、「古くから地域の人々の生活と密接に関わり、守られてきた清澄な水を有する地点」(但し飲用の可否は保証しない)と定義されている。2023年3月時点で41の地点が登録されて居るが、ここ墨坂神社は現代でも飲料水である点が大きいだろう(登録はH19年で他に比べ比較的遅い)。区分は「湧水」となっている。