Hiroshima-Wandelinger第3話【黒髪山と黒神島】

民俗伝承[日本]

Hiroshima-Wandelinger第零話【プロローグ】
Hiroshima-Wandelinger第1話【八年ぶりの東区】
Hiroshima-Wandelinger第2話【二葉山の工事と大いなる黒蛇の伝説】

【黒髪山と黒神島】
 ここで一度視点を高くとって、外周に注目してみよう。
 「海上の難船を助けた」の「海上」がどの辺りを指すのかは判らないが、沖合の彼方に大黒神島おおくろかみじまがある。
 大黒神島は西能美島にしのうみじま(現江田島市)南西に浮ぶ無人島で、そこから東にある倉橋島(現呉市)と本土の間が、清盛が拓いたと言われる「音戸おんどの瀬戸」である。
 大黒神島の北西には嚴島いつくしまがあり、嚴島と大黒神島の間に小黒神島がある。
 海に出没する「黒髪(黒神)」と呼ばれる大蛇と、沖合に浮ぶ大小の「黒神」島。関係無しと言う方が不自然であろう。大黒神島は無人島だが、人がまったく立ち入らない神聖な島というわけではないようだ。ただ、平地がほとんどなく、標高は460メートルに及ぶ。
 黒髪山と大黒神島を直線的に観れば、間には似島にのしま、江田島、西能美島が並び浮んでいる。最も標高があるのは西能美島の宇根山(542メートル)だ。似島と黒髪山との間には宇品島を挟んで埋め立て地があり、低山の比治山に至る。似島の標高は278メートル。黒髪山(現二葉山)はWikipediaによると139メートルだが、尾根が連なる北側の牛田山は261メートル。右廻りで緩やかに下っている地形である。
 恐らく遙か昔はこの辺りまで海だったであろう。

 

東区の二葉山と江田島沖の大黒神島の位置関係(イラストストックの素材をもとに筆者が加筆改良)
 
 この辺りが海だったことを物語る伝承が、近隣の寺・國前寺に伝わる。当地にはもと律僧の暁忍が庵を結んでいた。嚴島へ向う途中の日像がこの辺りで悪天に見舞われ、船を松の木に繋いで暁忍に宿を請う。その一夜で暁忍は日像に師事し改宗した。この草庵が暁忍寺となり、後に改称して國前寺となる。その松の木は現在の山門の前にあったという。
 日像は日蓮の孫弟子である。従って、14世紀頃までは海が近かったことになる。
 牛田山の由来は諸説あるようだが、いづれも共通した音から文字だけが転じたという説である。ならば、「雨師多」といった説があっても良かろう。低山なのに黒蛇の居る処常に霞が掛かる故霞山ともいう――、といった由来とも親和する。
 現在、「黒髪」「尾長」「霞」といった黒蛇伝承に纏わる名前は社地もろともに隠蔽され、当たり障りのない近世の松葉伝説やら饒津神社やらに由来する「二葉」が喧伝されているのも、何やら不自然な意図を感じる。

 現在の通称である「大神社」に注目すると、音戸町に三社、倉橋町に二社確認される。
 音戸町の方はいづれも由緒不詳で主祭神を天照皇大神とし、記録に残る再建ないし創建年が1666年から1698年のおよそ三十年間に集中。また二社で相殿に大土神を祀り、一社で大穴牟遅神を祀って居る。
 倉橋の方は、上河内の社に天大将軍社、才ノ木の社に中大将神社といった類似の真名があり、祭神も前者が天之菩卑能命・大山津見命、後者が猿田彦神で全く異なる上に、十六世紀以降の記録ではあるが、由緒が比較的はっきりしている。また後者には「船に祀る船魂は大神社の神霊」だとする信仰がある。これに依れば、猿田彦神を船魂にしていることになる。真名も祭神も全く異なるので考察材料から除外して良かろう。
 気になるのは音戸町の三社である。倉橋町内には十八世紀に創建された天照大神を祀る「伊勢社」があるのだが、何故音戸町の三社は「伊勢」の名を用いていないのだろうか。不可解である。
 黒髪山地主大神社の相殿に合祀されて居る天照大神は、文和年間(1352-56)に当地の峯姫神社から遷したとされる。もしもこの祭神と関連があるとするなら、「大神社」という社号にするだろうか?

 「大神社」は大いなる黒蛇こと大穴牟遅命にちなむ。「大神社」を名乗るなら祭神は大穴牟遅命のはずである。その大穴牟遅命は三社のうちの一社が相殿に祀って居る。言うなれば、黒髪山地主大神社の主神と相殿神が入れ替わっていることになる。
 大土神は詳細が不明だが、恐らく産土を指すと思われる。つまり、「土の神」ではなく「オオツチ」という意味である。何故と云と「土」系の神なら例えばハニヤスヒメなどに改称されて然るべきところだが、そのままになっている。さすれば、「オオツチ」の名を持ちながら記紀系の神に比定できなかったということになろう。そして古代の命名規則に則れば、「オオ」は偉大なること、「ツ」は連体助詞、「チ」は霊であるからして、「偉大なる霊神」といった極めて原初的な土地神(地主神)と推定される。
 ひょっとすると、欠落した大穴牟遅命が相殿の大土神になったのだろうか。しかし一社は大穴牟遅命と大土神を相殿に祀って居るので、別神ということになる。
 見えかけた答えが、再び霞に包まれたかのようだ。

<2023/03/19追記>
「大土神」について、『古事記』に大年神の系譜として「大土神、亦の名は、土之御祖神」という記述があり、註釈では「田地の神」としている。したがって、大穴牟遅命とは別神である。