映画『すずめの戸締まり』に関する一考察②―大地震をもたらすエネルギーはなぜ「ミミズ」なのか―

考察

 

映画『すずめの戸締まり』に関する一考察②―大地震をもたらすエネルギーはなぜ「ミミズ」なのか―

この考察文は、いわゆるネタバレを含みます。
キーワード:鯰絵、人柱、国つ神、要石、大ナマズ、鹿島明神

2、ミミズ

【龍と地震鯰】

 「ミミズ」は登場人物ではなく、「日本列島の地下にある構造線のようなもの、そこに溜まるエネルギー」であつて、作品世界における地震の発生要因だと説明される[1]。これはなかなか大胆な設定というか概念で、地学的な説明とは似て非なるものである。相違点としては、特定人物に限定されるものの、エネルギーそのものを地表で観測することができ、発生を食い止められるという点にある。そしてこのことが意味するのは、鈴芽が幼少期に遭った大地震は、食い止めることができなかったということである。
 この作品は、現代日本に極めて類似していながらも飽くまで架空世界の物語とされる。しかし観客は、現実世界にそれを重ねる欲求に駈られるであろう。かく言う筆者は、祝詞のりとを唱えながら”扉”を閉めることで巨大な「ミミズ」の噴出を食い止める「閉じ師」の役を、この現代日本で担うのは、果してどなたであろうかと否応なしに想像して仕舞った。

 ところで、そのような日本列島全体に亘って居て、噴出することで地震を引き起こすエネルギー体(具象化)でありながら、祝詞を交えることで霧消させることも可能なモノが何故「ミミズ」なのか。
 現実世界におけるミミズは、まことに失礼ながら取るに足りない小さな生き物で、食物連鎖の下辺に位置する存在に過ぎないといっても過言ではなかろう。しかし作中の「ミミズ」はひたすら巨大であり、その形状も相俟ってむしろ大蛇の如き印象をつよく与える。にもかかわらず、それは「ダイジャ」でも「ヘビ」でもなく「ミミズ」と呼称される。本論考では、この点について意図があるのか無いのか、あるとすればどのような意図が籠められて居るのかを考察する。

 地震に関して日本でよく知られているのは、地中の大ナマズが引き起こすというもので、暴れないように要石かなめいしで押さえつけているというはなしであろう。茨城県の鹿島郡を筆頭に、千葉県佐原市さわらし(現香取市)、静岡県沼津市、長野県小県郡ちいさがたぐんなどにも類似の伝承がある[2]。(但し伝承主体はナマズではなく要石。つまり「石の伝説」に該当する)
 何故ナマズが地震の元凶なのか。これには二通りの理由が推定できる。ストレイトな解答としては、国語辞書に示される「なまず」の三番目の意味としての「とらえどころのないこと」[3]から来ていると言える。これには体表面がぬるぬるしているという物理的な面と、漢字に象徴される神霊的な面との二重の意味があろう。後者について説明すると、本来ナマズの漢字表記としては「鮎」が宛てられて居たが、現在一般的な表記としては「鯰」が使われる。この「鯰」という字は国字である[4]。つまり、新しく漢字を造ってでも「鮎」から分離して「鯰」にしたい政治的な意図があったということである。
 魚類であるから魚偏を使うのは解るとして、何故つくりは「念」なのか。「とらえどころのない」という説明は、飽くまで物理的な面での話のはずである。しかしその「とらえどころのない」ものとして「おもい」をも重ねた字にしたのは、既にその時点で特別視がされていたと解せるだろう[5]。

 もう一つの解答としては、龍の見立てである。ナマズは大きく扁平な頭と長いひげが特徴的な淡水魚であるが、これは短小型の龍を髣髴ほうふつさせる。実際、日本列島を取巻く龍が地震を起すという観念が、鎌倉初期にはあったことが指摘されて居る[6]。
 つまり、龍を大蛇に貶めるという第一段階[7]から、更に次の段階として大蛇を大ナマズに変えたわけである。ノーマルな蛇は十二支にも数えられ、また古来様々な霊的属性をあまりにも多く語られ過ぎて吉凶相半ばしているし、大蛇は山や湖沼に棲み、貶める側からすると退治されて然るべき存在である。十二支に関していうと、作中に「ダイジン」という悪役的対立的なキャラクターも登場するのだが、この形状は猫である。日本の町中にも出没し活発に動き回る悪役的生き物として十二支に属さない猫が撰ばれて居る。人語を話すといった点もポイントなのだが、今回は「ミミズ」がテーマなので筆を戻そう。
 「地中に封じて神(天つ神)が抑える」という構図として「大なまず」は新しいだけでなく、隠喩的でもあるわけである。神宮号をもつような大社の著名な神が抑えて居ながら、なお抑えきれない地震という現象に対する無常感とせめてもの矮小化に、当時の民衆の複雑な感情(宗教に対する距離・温度差)を観る思いがするし、またそこに民衆から湧き上がってくる江戸文化のうねりを感じることもできるだろう。ちなみに、ナマズではなく大ウナギを抑えるという、より形態的に蛇に近い伝承もある[8]。
 更には、「地中に封じる」=死の暗喩であり、ナマズと勾玉まがたまの形状的類似性をも加味すれば、ナマズは死者の魂の具象化(半人格化)とも言えるだろう。そこには、龍や大蛇から鯰にまで矮小化されながら、未だに牙を剥く存在であることが暗示されている。食材でもある鯰には、喰らうことで完全に消し去ると同時に、自身のエネルギーに転換するといった原始的な勝者と敗者の関係性の影を観ることもできよう。

 いづれにせよ、安政の大地震をきっかけに広まった、鹿島明神かしまみょうじん武甕槌命たけみかづちのみこと)が要石で大なまずを抑える『なまず絵』は、間もなく大黒天や猿がヒョウタンで抑えるという風刺画に取って代わることとなる(神や要石を変えてもナマズだけは変えない点がポイントである)[9]。
 ナマズと瓢箪のモティーフは、四代将軍足利義持(1386-1428)が禅僧如拙に書かせたという『瓢鮎図』(瓢箪を持つ男とナマズの図画)辺りまで遡れるようで(その賛の部分には「鮎」の字が使われて居る)、通説では公案の回答とされるが、描かれている状景としては無理難題の一例に外ならない。つまり、基本的に鯰絵のテーマも、地震は神仏ですら制御不可能だという点にある。その上で更に、その神の属性や神話(逸話)が考慮されて、何故その神を以てしても不可能なのかを合理的に説明しようとする類の風刺的な絵も生れたわけである。


『鹿島要石真図』(『石本コレクション』I-02-063)

 難航した「国譲り」を武威によって断行するため派遣された武甕槌命(鹿島明神)を、大國主神と習合していた大黒天に挿げ替えるのも皮肉が効いていよう。ナマズが何を暗示しているかを理解した上で、その封印(鎮魂)が不十分だと解釈する者が居たということである。これを地震発生月である十月(神無月)と掛け合わせて、鹿島明神が出雲へ出かけたためナマズが動いてしまったとする説(鯰絵の詞書)もある[10]。これなども鹿島明神に対する間接的な批判を含んで居ると受け取れなくもなかろう。
 安政期の鯰絵は相当種類作られたようだが、エビスが鹿島明神とナマズの仲介(弁明)をするパターン(エビスは事代主神と習合)[11]、鹿島明神を筆頭に江戸の諸神がナマズの一党を糾弾するパターン[12]、伊勢神宮の神馬がナマズ人間を蹴散らすパターン(出雲族を象徴する龍蛇に対し、天孫族を象徴するのは牛馬)[13]、鹿島明神の前に召し出されたナマズたちに古来よりの誓約の条々を挙げつつ裁きの沙汰として日本から追放するパターン[14]など、かつての「国譲り」をあきらかに踏襲した風なものが少なくない。またそれを理解しているが故か、ナマズを好意的に描いたものも若干ながら伝存している[15]。
 この好意の内訳としては、復興に伴う需要によって経済的に潤う特定層の支持が含まれるのだが、それ以外にも例えば「鯰と鹿島大明神の首引」図が、「国引」と掛けているだろうことは容易に想像されうるし、民を大勢殺すと言った黄泉国の伊弉冉尊と、それ以上に産屋を建てると応えた伊弉諾尊の千曳磐での問答などと同様の、二神による地底(幽冥・黄泉よみなどの異界)と地上の対比構造をも観ることができよう。そこには、記紀神話で描かれる神々の誓約を改めて浮彫にして敗者へ履行を迫る勝者の視点と、敗者の呪念や神々の原罪を自然の摂理として受け容れる観念とがあるのではなかろうか。
 幕府は鯰絵を禁じたが、その流布が留まらなかったという所にも、描写の裏に籠められたエネルギーのせめぎ合いを観る念いがする。


『八百万神御守護末代地震降伏之図』(『石本コレクション』I-02-124)

 こうした矮小化された国津神の象徴として大地震の元凶に据えられた大ナマズと「大ミミズ」は語感が似ていて、なおかつより蛇に近い形状である。更に生物の属性としては、より一層原始的であり「とらえどころの無い得体の知れ無さ」が際立っていて、大地震誘発エネルギーの象徴として言い得て妙である。またナマズやウナギが食材とされるのに対し、蛇やミミズは日本人の一般的な食材ではない点も、大蛇からの正統的な劣化体と言え、本質の面で慧眼の抜擢と言えよう。
 これを裏付けるのが、熊本県の国造神社に伝わる伝承である。――阿蘇の湖を干拓する健磐龍命たけいはたつのみことを大ナマヅが妨害したので退治し、湖を田畑に変えた。しかしこの大ナマヅは国造神の化身だったため、鎮魂の社を建立した――とされる[16]。
 「国造神」は国を造った神、すなわち大穴牟遅命(大國主神)を想起させるほか、国造は「くにのみやつこ」ともいう。その場合は大化改新以前の行政官を指す。国造は大和政権に帰順した豪族が任命されたと言われるので、この伝承に「反農耕=怪物=まつろはぬ者」といった図式(支配者の観念)を垣間見ることもできよう。また国造神=大ナマズという構図は、大國主神の片腕とも称される事代主神をヒルコ(ひる)に当てる図式と、外形的な面でよく似ている。

 その大ナマズを抑える要石として最も著名なのが鹿島神宮の要石である。この要石は奥宮の南東の林の中にあり、一部分が地表に露出した状態で瑞垣が廻らせてある。(この要石の存在については、公式サイトでも公開されて居る)[17]
 鹿島神宮は『常陸国風土記』にも記述がある古社で、延喜式内えんぎしきだい名神大社みょうじんたいしゃ。常陸国の一ノ宮。武甕槌命を祀る[18]。
 武甕槌命は天孫降臨の際に經津主命ふつぬしのみことと伴に出雲の大己貴命(≒大國主神)へ国譲りを迫った神でもある。更に神武東征の際にも大和国で「賊」を平伏させている。中臣氏(藤原氏)との関係が深いらしく、忌部(斎部)氏の支配地域であった当地へ進出したことに伴っての鎮座という[19]。
 またこの地は「蝦夷の門戸」にも当るが(社殿が北向きに建てられている)[20]、拠点の守護神として威力を発したことで中央政権からも尊崇される。その最たる例が藤原氏による鹿島・香取両神の平城京への勧請である。

 經津主命は香取神宮の祭神で、武甕槌命に帯同した神である。同一神と看做す説もあるが、香取神宮では相殿に祀る(=別神扱い)。伊波比主命とも称す。名神大社。下総国の一ノ宮[21]。
 要石は香取神宮にもあるといい、両社で頭と尾を抑えるともいう[22]。この記述だけ見れば大ナマヅといえどもせいぜい二つの町に亘る程度と思えるが、伝承地である鹿島郡では、巨大魚の身体は日本列島全域に及んでおり、鹿島の地は頭と尾が交わる地点だとしている[23]。あきらかにかつての「列島を取巻く龍」が意識されていることが解る。
 この「頭と尾が交わる」というのは結界の始点と終点のことと推察する。地質学的には中央構造線の北端に当り、まさに頭部である。昔の日本人が学問としての地学を知る遙か以前より、既に列島を縦断する断層の存在と、その端の位置を宗教的(神霊的)に特定していたことが解って興味深い。
 映画の設定では、「ミミズ」は構造線そのものとされているわけであるが、何処にでも出現するわけではなく、廃墟のような人びとの営みが絶えた場所である。対して要石伝説のある土地は、沼沢地などかつて地盤の緩かった箇所という指摘があり[24]、むしろ人びとがその土地へ定住するために必要とされた節がある。ここにこそ、「ミミズ」が単なる地学的なエネルギーとは性質を異にする最大の特徴がある。
 何故人間に見棄てられた土地からそのような巨大なエネルギーが噴出し、近隣の土地に壊滅的打撃を与えるのか。作中では「閉じ師」の青年が「ミミズ」について「目的も意志もなく、歪みが溜まればただ暴れて土地を揺るがす」[25]と述べるシーンがあるが、もしこの言説が正しいとするなら、廃墟となった土地には「歪み」が溜まるということになろう。この「歪み」とはいったい何か。詳しく明示されては居ないが、暴発的エネルギーの根元であることだけは確かだ。そしてその「歪み」を増すのは、人びとの「見棄てる」という行為である。ここには人間の行為としての暴力の発露と、どこか重なるものがあるのではなかろうか。見棄てられて孤独と化した人間による無差別な暴発と、「ミミズ」による災害の惹起はどこか通底しているように思える。現実の地震は映画のように食い止めることは困難かも知れない。だが、人の空虚な心から出て来る「ミミズ」はたとえ「閉じ師」でなくとも、鈴芽のように戸締まりができるのではなかろうか。その時に必要なのは、映画を踏まえるなら、感謝の祝詞である。

【要石と人柱】

 「要石で頭を押さえる」というのは、封じる対象の上に石柱が建てられるイメージである。武甕槌命は封じを行った人物であり、要石による封印を維持するために祀られた存在だ(祀る者→祀られる者)。この要石を鹿島神の降臨した場所で磐座いわくらとする説もあるが、神体にするでもなく社地の中心から隔離された場所にある点からもがえんじ得ない。
 神殺しの際の血液から生じたという誕生の逸話からも知れるように、武甕槌命は在来の神(信仰主体)を殺すことで鹿島の地で祭神化したことを意味して居る。その意味では、滋賀県の勝部神社の伝承の如く、「大蛇」の頭部と胴体をバラしてそれぞれの神社に封じたと観る方が、巨大な大ナマズの頭と尾が交叉する地点というよりも正確を期すであろう。これは鹿島・香取両神宮の間に簡素な結界があって[26]、現在も両社が関与する形式で、国譲りや神武東征を模した大規模な祭り(魂鎮め)を循環的に繰り返して居る点からも裏付けられる。そしてまた、箭括やはずの麻多智が西谷の「葦原」を伐採し開墾して田を作りし時に、角のある蛇「夜刀神やつのかみ」が集団で現れ妨害されたことにぶち切れて、一方的に打殺し追い払っておきながら、永代に祭るから祟ったり恨んだりするなといった『常陸国風土記』の逸話を、思い出させるのである[27]。

 古代において、為政者の地震への対応は「祀ること」であった。「地震なゐの神」を初めて祭ったのは推古天皇だと言われる[28]。また社会的には時代を改め政治を改める意思として改元も為された。しかし江戸期の鯰絵においては、「地震の神」は封じられる存在、更には身近な食材でもある鯰として描かれるに至った。これは古代の地震に対する観念とは大きく異なるものである。
 この乖離がいつ頃から始まったのか、筆者はまだ研究仕切れて居ないが、それを承知の上で一つの目安を示すなら、その分水嶺は恐らく鎌倉期ではないか。十三世紀初頭は社会の様々な局面で大きな範例転換パラダイムシフトが起きた時代でもある。宗教では陰陽師が政権中枢で一定の影響力を保持しながらも、民衆に広く支持されたのは選択仏教であり、また公家に代わった為政者たる武家が重んじたのは最新の外来宗派である禪であった。
 その選択仏教の開祖の一人である日蓮は、地震や疫病の根本原因を法の乱れにあると訴えたが、時の執権らはこれを黙殺した。鎌倉時代は正嘉元年(1257)八月二十三日に大地震が発生、十一月にも大きな余震があり、甚大な被害を出して居るが、国家レベルでの根本的対策を行った記録はないようである。陰陽師による占いは記載されていても、それによる具体的な対応は政策レベルでは行われた形跡はない[29]。
 元寇に対処する夷国調伏の祈祷を行う一方で、蒙古の脅迫は無視しつつ海岸防備を強化したのが良い例だが、為政者の脅威に対するアプローチは武力と呪力の発動であって、既に祓いや祭り(祀り)は主力ではなくなっている。本地垂迹説の浸透もあるだろうが、彼らにとっては地震や落雷を起す御霊や祟り、災害よりも、弓・刀を手にした叛逆者や盗賊、侵略者の方が脅威対象なのである。しかもそれは武家政権などの為政者に限らず、南北朝分裂の火種を抱えた天皇方や、叡山と園城寺などの対立においても同様であって、更に庶民レベルでは現世そのものを穢土えどとして抛擲ほうてきする浄土信仰が席巻する始末であった。つまり武器を持てる者は武器を手に脅威に立ち向かい、武器を持てない者はひたすら現実逃避を謀るのであった(そして日蓮は経典(法華経)を手に立ち向かおうとした)。こうした流れの先に、室町期の『瓢鮎図』が位置づけられ、また江戸期の鯰絵に至るのである。鯰絵に観られる観念の萌芽が鎌倉期にあるというのは以上のような理由である。

 開拓地の安定に寄与する霊的オブジェとして語られる要石――これに類似するのが「人柱」であろう。人柱は文字通り、人を柱とすることで、土地に穿うがつ人工物を安定させる霊的機能に期待する信仰儀礼である。「柱」は神の数的単位に使われるので、人の身のままで神に擬える(昇華させる)という意味も籠められており、その点で言霊ことだま的な要素も併せ持つと言える。特定の神の存在が前面に出ていて周期的に繰り返される人身御供ひとみごくとも厳密には異なるが、結末として神の存在が希薄な点は共通する。前者は多く神殺しとして、後者は工事の完遂として結果し、犠牲的な信仰・儀礼はそこで断絶または略式化される。思うに要石は、人柱のより原初的な形態ではなかったか。両神宮とも現在要石は本殿の建つ社地から離れた所にあり、一種の末社の趣があるが、やはり人柱同様にカミの気配は稀釈され、伝説として語られるに留まっている。
 この地方で地震が起きないという伝承は、地中の「エネルギー」を要石によって表出しないように封じ、更に神事を通じて循環させているからと言えるわけである。ここにも「天つ神が、国つ神や産土の念を封じる(祀る)」→「その念を利益に活用する」という御霊信仰的な構造が暗示されている。しかし決定的に違うのは、その御利益神徳は、すべて後から祀られた支配者(勝利者)のもたらすものとされて、本来のカミは、民衆が食材に用いるクラスの生物にまで矮小化され末社にも及ばない扱いに甘んじているという点である。

 映画における要石は「ダイジン」と称する猫に似た生物であり、またイスに変えられたもう一人の主人公「宗像草太」である。「人→要石」という図式であり、筆者が指摘する人柱要素を多分に含んだ要石である。次回は「宗像草太」を取上げる。

補註
[1]「すずめの戸締まり」制作委員会編『すずめの戸締まり』パンフレット(東宝株式会社映像事業部/2022)一五頁
[2]野本寛一「要石伝説」―『日本「神話・伝説」総覧』所収稿(新人物往来社/1992)三三八頁、朝倉治彦・井之口章次・岡野弘彦・松前健編『神話伝説辞典』(東京堂/S38)一四四頁
[3]松村明編『大辞林』(三省堂/1988)一八一〇頁
[4]尚学図書編『現代漢語例解辞典』(小学館/1992)一三四六頁
[5]「鯰」字成立は九世紀以前とされる。ドライな解釈としては、「鮎」の音読みが「ネン」であるから同音の漢字である「念」をつくりに当てただけとも言える。
[6]東京大学地震研究所「江戸の鯰たち~幕末の江戸に群れる地震鯰~」―『東京大学地震研究所図書室展示』(https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/tosho/panko2020/)
[7]龍も蛇も伴にカミであるが、記・紀や『風土記』の時点で既に蛇には死や災いをもたらす邪神としての属性が付与されている。対して龍は仏教経典によって仏法の守護者としての属性が付与されるため、時代が下るにつれて語りの位相の中で両者の乖離は広がっていったと考えられる。但し『今昔物語集』ではまだ混在が見られる。いつ頃が分水嶺になるかは今後の研究課題としたい。
[8]国際日本文化研究センター『怪異・妖怪伝承データベース』(https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0030377.html)
[9]網野善彦・大西廣・佐竹昭広編『瓜と龍蛇』(福音館書店/1989)一八二―一八三頁。
[10]『八百万神御守護末代地震降伏之図』(『石本コレクション』I-02-124)、『恵比寿天申訳之記』(『石本コレクション』I-02-003)
[11]同上
[12]『鹿嶋神託所より鯰共一統江申渡しの事』(『石本コレクション』I-05-061)
[13]『鯰を蹴散らす伊勢神宮神馬』(『石本コレクション』I-02-034)
[14][11]に同じ。
[15]『世直し鯰の情』(『石本コレクション』I-04-021)
[16]茂木貞純監修『神社のどうぶつ図鑑』(二見書房/H30?)六四―六五頁、「国造神社(阿蘇)・大森宮(福津)・豊玉姫神社(嬉野)-地震の備えは大丈夫?九州各地にあるナマズの神様編」―『九州旅行ナビ』(https://www.9navi.jp/catfish.html)
[17]鹿島神宮公式サイト(https://kashimajingu.jp/)
[18]下中彌三郎編『神道大辭典 第一巻』(平凡社/昭和12年初版)三一四―三一五頁
[19]同上
[20]同上、薗田稔・橋本政宣編『神道史大辞典』(吉川弘文館/2004)二〇四頁
[21]前掲『神道大辭典』三四二―三四三頁
[22]香取神宮公式サイト(https://katori-jingu.or.jp/guide/)
[23]前掲『神話伝説辞典』一四四頁
[24]前掲『総覧』三三八頁
[25](前掲『パンフレット』一五頁)
[26]安倍成道『日本の結界―陰陽師が明かす秘密の地図帳』(駒草出版/2018)七〇―七二頁、島田裕巳監修『日本の聖地 開運地図帳』(宝島社/発行年不明)六四―六五頁。前者は鹿島・香取の二社と息栖神社を結界点とするが、後者は鹿島・香取の要石と息栖神社旧社地を結界点としている。後者はほぼ正三角形になる。
[27]秋本吉郎校注『日本古典文学大系2 風土記』(岩波書店/S33)五五頁
[28]戸矢学『ニギハヤヒ(増補新版)』(河出書房新社/2016)五〇―五一頁
[29]出雲隆『鎌倉武家事典(新装版)』(青蛙房/H17)

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初掲:2023/02/01

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