【随想譚】心配な事

 最近の彼女は少し変わった気がする。二年前のアーカイブなどと比べて、ひどく疲れているように見える。画面に映っているのはいつもと変わらない姿にもかかわらず、そんな風に見えてしまう。だから何だか心配になる。その疲れ具合が、多忙からくる疲れとは違う気がするから、余計に心配になる。

 スピリチュアルなモノやコトに意識を向けるのは良いことだけど、生霊とか供養されてない死霊などのいわゆる「心霊」系なのはあまり良い傾向ではないよ。そういうモノに意識が向くのは波長が近くなってるからです。
 自分も、世の中があまりにも詰らなく感じてくると怪談ばかり探してしまう。それって心理的には非現実的な体験(その中でも「死」に近い体験)をしたいという思いが、無意識にあるのだと思う。(いや、たぶん本当は、死んだ人と接触したいというどうにもならないことなんだと思う)

 気分が上向きなときは誰かの旅の動画を見たり、昔を思い出しながら記憶の旅をして記事を書いたりするんだけど、最近は筆が進まず、人柱のことばかり考えてる。

 耀いてる人には、何もかも見失ったモノたちもまた集まってきやすい。助けて欲しくてすがりついてくる。気力が充実してれば幾らでも捌けるんだけど、疲れてると面倒になって無下にしたりする。そうすると思いも寄らぬ牙を剥かれることがある。
 これは死霊だけの話じゃない。コメントが荒れがちというのも、引き寄せてる。

 散歩が好きなら、散歩のついでに神社へ行くと○
 御祈祷とか祈願をする必要はないので、神さまにあいさつしてから、しばらく境内に居ると良い。
 東京都内ならだいたいどんな神社でも問題無いかと思うけど、日当たりが良くて、ぱらぱら人が出入りする程度のところ。午前中がベスト。(祈願もするのなら祭神や由緒は確認する必要がある)。
 参拝する人の邪魔にならず、拍手や鈴の音が聴こえる場所がおすすめ。
 場合によっては太鼓が聞えるかも。太鼓の音は少々うるさくても心地よければ(体内に音が響くような感じなら)居てください。逆に顔が歪むような不快な音の場合は、別の寺社へ。

 神社へなど行かない、行く必要はないと言うのであれば、向き合うべきは生霊や死霊ではなく、自分自身と自分を取巻く環境のほうでしょう。
 霊ばかり意識して何もしないのが一番良くない。ソッチに波長を合わせていくと、ひどく疲れます。ソレは四六時中ずっとただ一つの「あまり楽しくもない念」を維持し続けているから。

 私たちは配信者の「楽しい」波動を受けて、擬似的に「楽しい」体験をし、身心がそのような波長に変わる。ありがたいことです。

 

見上げると、ほらそこに龍が居る。

神社が近くに無いときは、空の龍をさがして歩きます。(たまにうさぎや武将も見かける)

 

追記:言おうかどうしようか迷ったけど、言ったほうが良いようなので(しらせがきた)急遽追記しときます。
「言いっ放しで何もしないのは一種の呪いといっしょでたちが悪い。霊的なモノをちゃんと観てもらいたいならM住職のような現役の僧侶のほうが良い。」10月1日4:40