『神さまに喜ばれる絵馬の書き方―古来の伝統に基づいて解説―』

信仰・儀礼

 そもそも「絵馬とは何か?」については、既に記事を書きましたのでそちらもご参照ください。

 基本だけ再確認しておきますと「神さまがお乗りになる馬(神馬)を奉る」→「生馬の代わりに絵を描いて奉る」でしたね。
 そこから更に派生して様々な絵が描かれるようになりましたが、これには賛否もあると。
 個人的には「絵」になった時点で、乗り物であるとか、生き物であるといった属性は失われていると考えます。
 従って本質的に重要な点は「神さまに捧げるものとして(その絵柄や内容は)適切か否か」です。

 現在一般的に絵馬と言う場合、小型のものが主流です。
 神職の居る神社ではだいたい何処でも扱っています。金額も300円から1,000円程度で、神社ごとに絵柄も豊富で面白いですよね。

 
 
<通例として、特にルールは無い>
 住所や名前を書くか否か。
 願い事の時制を「過去形・現在形・未来形」のどれで書くか。
 奉納は祈願と同時か後日かなど、基本的にすべて自由です。
 絵柄も、よその神社の絵馬を使ったりしない限りは自由に撰べます。龍でも猫でも神さまが嫌がるということは……たぶんないはず。
(但し、書き方や奉納の仕方で特別な手順を示されている場合はそれに従ってください)

 
 
<伝統的な奉納様式について解説>
 では、本来の絵馬はどのような様式・法式で納められてきたのか、伝統的な大型奉納絵馬を例に解説します。

 もう一度基本を確認しますが、元々は「馬の絵を描いて奉納するもの」でした。神さまへの捧げ物ですから当然「神聖であるべき」です。
 依頼を受けた絵師の中には斎戒沐浴さいかいもくよくして挑み、馬以外の俗な絵は描かないこともあったそうです。

 しかるに、現在の小型絵馬の大半は既に絵が描かれています。
 私たちが「絵馬を書く」と言う時、それは「裏面」のことですよね。
 その上でどういった心持ちでこれを捧げるのか。各自でよく考えてみる必要がありそうです。

 まづ、大型の絵馬はどういった時に奉納されたかというと「満願の時」です。
 つまり、願いが叶った時に奉納しました。この場合の一例として、

  一行目「奉掛」
  二行目「生馬神御宝前 某 敬白」
  三行目「年号 月 日」

以上の如く書きます。
「奉掛」は「けてたてまつる」、「生馬神御宝前」は「生馬いきうまを神の御宝前ごほうぜんに」と読みます。
「某」は奉納する人の名前です。「敬白」は「以上をうやまって申上げます」という意味。
「年号」は元号表記が一般的で、昔は十干・十二支も書きましたが、年号のみでも良い。西暦・皇紀・佛暦でも問題ないが、その場合も数字の前に何暦かを表記する。(例:西暦二〇二三年)
 年月は具体的に書き、日にちは「吉日」とする例が多いです。表記は漢数字が一般的で、恐らく墨やスペースの節約の意図からも「吉」は便利な一字として撰ばれたと推察。
 横書きの場合は、右から左へ書く例が多いですが、左から右でも問題ない。

 実際の例を見てみましょう。

 こちらは元治元年(1864)に旗岡はたがおか八幡神社へ奉納された大型絵馬です。(写真は品川歴史館所蔵の複製品。筆者撮影2017)
 額の右側に日付け、左側に奉納者名があります。「當村(当村)」というのは、中延村(現東京都品川区中延)のことだそうです。
 絵の右下の文字(「□□沖庸寫」)は恐らく絵師の名前(雅号と落款)でしょう。
 特徴的なのは左側の「願主」です。素直に解釈すると、何か願い事があって奉納したもののようです。

 もう一点、こちらは鴉森からすもり神社(東広島市)の奉納絵馬。左は昭和二十五年、右は不明ですが同じく昭和初期かそれ以前(大正以降)のものかと思います。連名なのが特徴です。
 左の絵馬は額の上部に「奉納」、右のは「奉献御神前」となっています。願いが叶う前か後かは判りませんが、上に紹介した書き方例に近いですね。

 神さまに捧げるものだから名前を書く必要はないという説がありますが、既に生馬から板馬(絵馬)に代わっていますし、所有権を示す意図ではないので書いても良いと思います。
 神前での祈願でも何処の誰かを名乗った方が良いとも言われます。(社寺でご祈祷を受けると住所の一部と氏名が必ず読み上げられますよね)


(小型絵馬の裏面記述例)

 十九世紀に書かれた『閑窓隨筆』では絵以外にも「詩歌連歌及び俳諧の連歌を奉納するもまた可なり。」とありますので、歌を添えるのも良いでしょう。
 記紀神話でも神々はよく歌を詠んでいます。言葉と歌(詩)はどう違うか。なかなか深いテーマですが、言葉の方がより直接的・写実的な感じを受けます。詩は言葉にしがたい心情を込めたり、複数の意味を重ねたり、余韻を持たせるなど、より複雑で技巧的・抽象的な表現が可能です。一言で言うと「言葉の芸術」です。(芸術にもいろいろありますが、基本は「美」で間違いありません。「美」とは何か。「感動するもの=美的」と言い得るかと思います。詩の場合は何らかの感動を「感動した」以外の言葉で表現するということです。)
 一方で、「遊女男娼の類、あるいは大黒と淫女の首曳くびひきをする体などゑがきてかくるやからもあり、かかることは不敬のはなはだしきなり、(中略)大臣たる人の悪名を絵馬に画きてかくる事は斟酌しんしゃくすべし。」とあって、重要な指摘だと思います。前者は例えば、アニメや漫画などで登場したからといって、軽々しく恋愛する男女のキャラを描いたりするのは、本来の意図からすると問題があるということ。(神社側が便乗して黙認していたとしても、神を第一に考えるべきで、神社の収益や売名を第一にすべきではありません)。後者については、他者を害する呪詛なども該当します。どのような祭神がまつられてるかにもよりますが、歴史的な事実や勧善懲悪であったとしても、一方的な暴力や殺害の描写は避けるべきでしょう。

 
 
<結語(考慮すべき点)>
φ絵馬の本来の意味は、神に奉る生馬の代わりである。
φ絵馬は、神に祈願をし、その満願の時に献上されてきた。
φ絵馬の絵柄や文面に決まった様式は無いが、不敬なもの(俗なもの)は避けるべき。

 さて、ここまでお読みになっていかがでしたか?
 絵馬の「裏面に願い事を書く」というのは、本来の意図や様式からすると、かなりかけ離れて居ると言えそうです。
 もっとも、みそぎや潔斎を手水で済ませたり、重要な意味を持つ祭日を土日にずらしたり、柏手を四回から二回にするなど、絵馬に限らず様々な儀礼が多くの寺社で既に簡略化されて定着しています。
 現代の通例では自由に記述し、自由なタイミングで奉納できる絵馬ですが、改めて何を書き、何を書かないか、考えてみるきっかけになれば幸いです。
 神社によっては代々奉納されてきた絵馬を集めた「絵馬堂」という施設があって、参拝者に公開している場合もありますので、そういったものを参考にされても良いでしょう。
 また今回は特に触れませんでしたが、何かの記念に奉納する場合もあります。これは絵馬に限らず、石灯籠や狛犬なども含まれます。そういったものについては神職に相談すると良いでしょう。

 最後に僕のおすすめは、裏面に自分で馬の絵を描いてみることです。
お願い事は神前で行い、文字は上述した三行文だけ。色つけをしたい場合は一度持ち帰り、改めて納めに行く。)
 心を込めて描いたなら、たとえどんなに拙くとも神仏は懐かしみ喜んでくださると、僕は信じます。


 
 
【参考】
下中彌三郎編『神道大辭典 第一巻』(平凡社/昭和12年初版)
品川歴史館展示プレート

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